第九章 故郷での暮らし






永い旅も備中に入りようやく終わりをつげた。

「 あれが津山城ですか、立派ですな。私は江戸詰めでしたので初めて見ます」

「 裕伍よく頑張ったなえらいぞ」 と誉めると嬉しそうに笑った。

さてこの二人をどう扱ったらよいだろう。そんな思いと懐かしい道場に戻って

きた喜びが交差した。

道場の玄関で帰った事を告げると大勢の門弟が飛び出してきた。大変な騒ぎだ。その後ろから

「 武助この方がお前の嫁女か・・・」 と横場が大きな声で出てきた。

「 お師匠、武助は帰って参りました。永らくの無沙汰申し訳ありません」

「 うーむ、かな芽さんか、わしは横場宗玄じゃ、そして奥の霧野じゃ」

「 初めまして、かな芽でございます。お会いできて嬉しゅうございます。

今後ともよろしゅうお願い申しあげます」

さらに後ろで控えていた蔓矢と裕伍を紹介した。蔓矢は大勢の人に圧倒され

もごもごと挨拶する。

「 泉屋殿からすでに荷物が届いておる。後でゆっくり検めなさい」

それにな寒川藩より我らの為に大層なものも届いている。お前からよく礼を

申しておいてくれ」

どうやら俊光は道場の改築費用を送ってきたらしい。どうしても武助を

離したくないらしい。

「 左様でしたか。まああまり気にしないで下さい」

「 お前は相当な事をやったようじゃな・・・」

「 まあよい、婚礼も大体わしと奥が段取りを整えておるでな、心配せずとよい。しかしお前が嫁御を連れて帰ってくれるとはな・・・」

「 ほんに、あの無口な武助殿がなあ・・・」 霧野が目頭を押さえる。

その日は道場に全員を集め帰郷祝いの宴を開いた。

仁那寺の和尚、善海と飾東金吾も来ている。

「 和尚様、ウイスケ造りの方はいかがですか」 

「 武助、かなりの物が出来上がったぞよ」 和尚が自慢げにいう。

「 ただ、お前に貰ったウイスケとは少し違うの、苦みが足らんのじゃ」

「 和尚、横浜で聞き及ぶには何でも        

とかいう異国の草を仕込むそうでございます。更に何年も樽にいれ熟成させるそうです」

「 何と! 左様であったか、どうも深みが無いと思うておった」

「 異国ではオークという木で樽を作るそうです。ただ我国にはその木があるかわからないそうです」

「 水楢の木でも利用するそうで、この場合色が濃くなり、濃厚な香味を

生み出すそうです」

「 うーむ、左様か」 善海はよだれをこぼしそうだ。 

「 和尚様、水楢であれば生えております」 と金吾が云う。

「 和尚様、気長に工夫なされ」 と武助は笑った。

「 金吾、ジキタリスはどうじゃ」

「 武助さん咲きました見事に。あの様な形の花は初めてです。驚きました」

「 あの花を写生しました。今度持ってまいります」

「 うん、そうか良かったな」 ジギタリスの種はケリーに貰ったものだ。

薬草園も自分の家の庭や、道場の庭でもやっているらしい。

いずれ近くに土地を買って本格的にしてやらねばならんなと考える。

「 それでお主が考えた蒸留装置はどうなのだ」

「 土瓶から竹を二重にして差し込み、外側の竹に穴を開け、じょうごで冷たい水を通しますが手間がかかりしかも効率が悪いのです」

「うーん、よく考えたな。しかし出てくる蒸気を冷やすには金、つまり鉄のような物が良いのはお主も知っておろう。心配せず渡した金を使えばよかったな。

遠慮はいらんぞ」

「 そんな事と思い異人の国の蒸留装置をケリー殿から聞いてきた。これじゃ」

と図面をみせた。金吾はそれが平面図と断面図とわかっただ。穴が開くほど見つめている。

いずれ金吾には医学を学ばせてこの地で診療所を開かせようと考えている。

そこに門弟がどやどやよやってきて囲んだ。

師範代、どうぞと銚子を差し出す。何か聞きたい事があるようだ。

「 無礼講だ、何でも言え」

「 さればでござる」

「 うむ」

「 失礼ながら師範代は・・・」

「 何だはっきり言え」

「 あの嫁女、いやかな芽さまはどこでお知り合いになられたので?」

「 なんだ、そんな事か」

「 わしが江戸で立花道場で後見をしていた事は知っておろう」

「 ふむふむ、知っております」

「 そこで中西道場から立花道場に入門してきた者がおった」

「 ふむふむ、それから・・・」

「 それで終わりじゃ。その者がかな芽じゃ」

「 ゲッ、かな芽様が武芸を・・・おやりになる?」

「 そうじゃ、今度揉んでもらうといい」

「 うひょ、お願いします」 他の門弟も我も我もと叫ぶ。 ひひひ、かな芽の

腕を知らんからな。

江戸での生活を皆知りたがる。差し障りのないところを教えてやる。

「 何、江戸では皆が毎日米の飯と魚を食べているのですか」 と驚いている。

「 武士もであろうか」

「 武士はな、質素じゃ。中々魚はつかん。内職などして生活を支えている」

「 それじゃ俺たちと変わらんではないか。いったい誰が贅沢しているので?」

「 あのな、豪商以外の一般の町民でも贅沢な魚でなければ毎日食している」

「 何故でござる? 」

「 江戸に限らず大坂でも駿府でもそうじゃ。町人は自分で銭を稼ぐからな」

「 師範代のわしがこのような事を言うのはなんだが、剣術だけでは出世は

出来ても中々武士の生活は苦しいものだ」

「 それでは我らはどうすればよいのじゃ。中々養子の口も見つからんし」

「 そうだそうだ、うわーん」 ここにも泣き上戸がいる。

「 まあ世の中捨てたものではないぞ」

「 お主ら何か取柄があろう。それを活かす工夫をすべきだな」

「 家で内職などしておろう。しかしそれは商人から請け負った仕事だ」

「 他人と同じよう事をすれば金が入るとはいえ実入りは少ない」

「 自分の不遇を嘆く前に考える事が大切なんじゃ」

「 失敗しても今より悪くならんと思えばいいのだ。ものは考えようだ」

「 まあ、そんな事なら相談にのるぞ」 武助は若者たちを励ました。

翌日、二人は内海家の墓参りに行った。先祖の墓前に夫婦になる事を報告した。

その夜、武助とかな芽は婚礼を行った。武助には親族は少なかったが、道場夫婦が親代わりである。

道場の門弟たちと善海和尚や金吾そして 新たに
知り合った蔓矢らも祝ってくれた。

晴れて武助とかな芽は夫婦になったのだ。その日かな芽とこれからの事を

語り合った。

「 かな芽、ここは田舎じゃで、そなたはゆっくりとここの生活に慣れるとよい」

「 わしは口下手だが、みんな慕ってくれる。ありがたい事だ」

「 だから出来るだけ彼らの夢を適えてやりたい。そなたには苦労を掛けると

と思うがよろしく頼む」

「 あなた様、その様な気遣いはおよしなされ。わたしはこの地が好きになりそうです。ですから色々と案内して下さいませ」

「 そうか、よしあすは一緒に駆けぬか。山を案内しよう」

「 話は変わるが、あの蔓矢殿の事だが、あの人の事も考えねばならん。それに

裕伍はまだ幼い、手が掛かろうが頼む」

「 あなた様、水臭うございます、その辺りはお任せ下さい。ただ、あの子には

いま友が必要と思います」

「 そうだな、門弟に相談して同じ年頃の子供を連れてきてもらおう」

「 それに蔓矢殿は武芸よりも算術や物を書く方が得意だそうだ。そこでな

道場の勝手に回って貰うつもりだ」

「 それであれば、あの方に寺子屋のように読み,書き、算盤を教える仕事は

どうでしょうか。人が集まるようであれば、ゆくゆくはそれを本業として独立

されればと思います」

「 かな芽、良いことを言うてくれた。今度蔓矢殿にその辺りを聞いてみるか」

翌日、朝早く武助とかな芽は道場を出、駆けだした。

野を駆け山を登り下る。故郷の野山は何も変わらず受け入れてくれた。

思い切り駆け回ると気分がすっきりした。かな芽もそのようだ。

道場に帰り、水を浴びると、一緒に町屋に向かった。蔓矢と裕伍の普段着を贖うためだ。古着屋に行って野袴や下着を買い揃えた。

菓子屋で奥方の霧野の為にきな粉餅を買い道場に戻った。

奥方に餅を渡し、蔓矢と裕伍を呼んだ。

「 蔓矢殿、これは古着じゃが普段着として着てくだされ」

「 内海殿、重ね重ねかたじけない」 

「 なあに、町へ出たのでな、気にされることはない」

「 裕伍、きな粉餅じゃ、お食べなされ」と奥方が差し出す。裕伍は飛びついた。

蔓矢に手習いの事を持ち出してみると、この先世話になるばかりでは心苦しい

と感じていたらしい。是非やらせて頂きたいと言った。さらに、

「 以前の藩では勝手方に居りましたが、元々拙者は測量が本職なのです」

「 若い頃より本庄敏和先生のもとで学んでおりました。ただ藩が干拓の御用

を受けた折り仕事に生かした限でありますが」 その方面でもお役に立てればと言う。

そんな時門弟の一人、遠藤が失礼しますとやってきた。

「 師範代、お師匠がかな芽様に道場にお顔を出すように言っておられます」

「 ははあ、師匠がな。分かった伝えよう。ところでお主らの弟で裕伍くらいの

歳の者はおるかな」

「 私の弟はそのくらいの歳ですが」

「 そうか、明日連れてこれるか」

「 いいですが、わんぱく者ですぞ」

「 かまわんぞ、他の者にも言っておいてくれ」

そしてかな芽に道場に出て活をいれてやれと頼んだ。

「 蔓矢殿、拙者はなこの地に新しい殖産を興そうと思っているのだ」

「 この様な山間の地ゆえ養蚕くらいで今はどこも大した事はやっていない」

「 そこでな、お主にも何が良いか考えてほしい」

そこにまた「 師範代、お師匠様がお呼びです」 と青い顔をした遠藤がまた戻ってきた。

道場に顔をだすとかな芽が鬼のような顔をして道場の中央に立っている。

その周りにごろごろと門弟がころがっている。

「 かな芽ご苦労だった」 とねぎらった。

「 武助、お前の嫁はすごいな。いや感服した」 と横場が笑って言う。

「 言い忘れていましたがかな芽は江戸では女呂布と言われる程有名です。

そして門弟に 「 お主ら弛んでいるぞいるぞ。もっと性根を入れて稽古に励むことだな。明日からわしが徹底的に鍛えてやる」 

門弟たちは青い顔で頷いた。

翌日門弟たちが弟を連れてやってきた。武助は彼らに菓子を与えながら訊ねた。 聞くと学問や筆耕は親に教わっているという。

「 そうか、良かったら明日から道場にやってこぬか。授業料などは心配いらぬぞ。それに剣術も習えるぞ」

横場にに道場の一室を開けてもらっている。そこになが机をいくつか並べた。

蔓矢には最初は遊びの感じで教えてやってくれと頼んでいる。

裕伍も仲間が出来てうれしそうだ。

まあこれは序の口である。武助には考えがある。道場にくる武家や町人、百姓たちに夢を与えることである。



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第10章 シャボンを作る
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