第五章  国に帰る


二人の任官を祝って寺本の知っている水茶屋で送別会を開いた。

「 いや、父のお供でな商人の接待を受けたのだ」 と寺本が云う。

「 わしなどはこの様なところは初めてだ」 武助は居心地が悪そうだ。

「 何が経験なの?」 白粉をぬった芸子がしなだれて酌をする。

「 いやあ、われらの様な身分ではこの様な所には中々来れぬということだ」

「 まあお堅い事。皆さま方はご浪人様?」

「 いや、しがない貧乏御家人の三男だ」

「 それがなこの度この楠田と共に任官が叶ってな、今日はその祝いじゃ」

「 まあ左様でございましたか、それはおめでとうございます」

「 うむ、それもこれも、ここにおる内海武助殿のおかげじゃ」

「 左様、われらの様な家住みを拾い上げたてもろうた。ウヒッ、ムフッ」

そろそろ始まったようだ。

「 あらあら、お武家さまは泣き上戸で御座いますか?」 おせんという女がいう。

なかなかの美人だ。もう一人の小菊という娘も美しい。

こんなところがあるのだ。いや江戸に来て何も知らなくて損をした。

突然大声が響いた。そしていきなり襖が開いた。

「 おせん、この様な所で何をしておる」 人相の悪い浪人風の侍がわめく。

「 田島さま、私は仕事をしております。あなたにその様に云われるのは迷惑です」

 ときっぱり云った。中々はっきり物を言う娘だ。

「 何をこいつめ、大人しくしておれば・・・おいこっちに来い」 と強引に

連れ出そうとした。

「 待てお主、嫌がっているではないか、手を離せ」 といった。

「 何をちょこざいな、青二才が、よーし相手をして遣わす。表に出よ」 と

凄んだ。しょうがない、ちょつと片付けてくる、と脇差を持って腰をあげた。

店の前では五、六人の荒んだ顔をした無頼漢がねめつけてくる。

「 どうだ、十両で事を収めてやろう」 さっきの浪人がいう。

「 生憎だな」 と云うと、刀やドスを抜いて切り込んできた。

この様な事に慣れている様だが武助の動きについてこれない。

脇差でこれから悪さが出来ぬように次々と手の腱を切ってやった。

店の中に戻ると、二人はもう出来上がっていた。

「 お侍様有難うございました。お蔭で助かりました」 とおせんがいう。

「 気に致すな。何かあったらいつでも云ってくれ」 と武助がいいかっこをする。

「 あの、お侍様はどちらの・・・」

「 うむ、立花道場におる内海じゃ」 武助はしぶい顔を意識していう。

おせんが髪を直す為、手鏡を見ている。おやっと武助はそれを注視した。

「 嫌ですよ覗いちゃ」 と隠そうとする。

「 いや、その鏡をちと拝借したい」 とそれを見ると金属を磨いたものだ。

顔は映るが暗くて少しぼんやりしている。

武助は閃いた。これをグラスで作れないものかと。

顔はむっつり武助に戻り、しきりに考えるが、いい案は浮かばない。

二人を引き連れて店を出て、考えながら歩き二人と別れ、長屋に戻った。

翌朝、飯を炊き、通りかかった納豆売りから買った納豆とメザシを焼いて

シロと一緒に食べた。河原の土手に行きシロを遊ばせながら川を眺めた。

川面は雲間から日を覗かし鈍く反射する。ひょっとして鏡に顔が映るのは反射するからかも

と考える。さすれば鏡板より反射すれば明るく映るのか?。

それは金箔か、銀箔か?

武助は仏具屋に行き訳を話して金と銀の箔を分けてもらった。

作業場に行き、板に箔とグラスを挟んでみた。鏡板よりはるかに明るく反射するが顔が箔の凹凸で

歪んで見える。光は銀箔の方がよく反射するようだ。

そこでグラスを丸く切り取り取った。銀貨を熱し、それを叩いて伸ばした。

砥石屋で職人につるつるになるまで研いでもらった。さらに表具職人にグラスと銀板を鋏こむ枠板

を作って貰えぬかと頼み込んだ。

「 お侍、今度は何の道楽だい?何手鏡だって! ははん花魁にもてようって算段だな。

面白えーやー、やってやるから蕎麦でも食ってきな」

藪蕎麦でシロと昼飯を取っていると、きくが人形をおぶって出て来た。

「 きくちゃんなかなか似合っておるぞ」 と誉めるとにこっと笑った。

表具屋に戻ると職人が驚いた声で云った。

「 旦那、驚いた。こんなに明るい鏡は初めてだ」

取っ手もそれらしく付いている。明るい、顔もはっきり見える。

職人に一両を渡し、枠に漆を塗ってくれと云った。

立派な手鏡が出来上がったので寒河藩の奥方に献上した。

寺本達にはその作り方を教えた。

俊光はよく来たと歓迎してくれた。それはそうだろう。グラス障子やグラス自体が売れ始め莫大な

利益を得ているからだ。それに今回の手鏡だ。

「 内海、お主は寒河藩の宝である」 と家来の様にいう。

「 あの手鏡の細工はいささか面倒でございますが、漆に螺鈿細工など致しますとさらに値打ちが

上がりましょう」 さらに少し云いにくそうに云った。

「 お殿様、国から一度帰って来いと師匠が申しております。それ故、ふた月程お暇を

いただきます」

「 何! 国へのう、帰るか・・・したが戻って参れよ。約束であるぞ」

どうも武助を離したくないようだ。

藩の借金も粗方返済し、領民の年貢も軽減措置をとった為、領民からも

いまや名君あつかいである。

「 よし、餞別ではないぞ、褒賞金を渡そう」 と用人を呼んだ。

俊光は国への土産も用意してくれた。中々世慣れた殿様だ。

師匠には最新の手伸ばし式の釣竿、奥方には手鏡や櫛を、和尚には伏見の銘酒等である。

これを一足さきに運送屋に依頼してくれた。

泉屋と道場や長屋の衆に国へ帰ってくる事を告げ、シロを抱いて出発した。

横浜まで歩きケリーにお礼を云いに立ち寄った。

グラスの製造がお蔭でなんとか上手くいったこと伝え、礼を述べた。

「 そうですか、あなたなら出来ると思っていました」 と喜んでくれた。

あとでケリーに聞いたところ、鏡は西洋ではグラスに水がねを蒸気にして付けるのだそうである。

そのような方法があるのかと感心した。

ウイスケなる酒もごちそうになった。喉が焼けるような酒だがすっきりした味だ。麦から作った酒を

蒸留なる方法で濃縮すると出来るらしい。さらにケリーはランプの
製造方法も教えてくれた。

最後にケリーはこの国は武士を頂点とした封建社会だが、この先どうなるかです。先を読みなさい

と語った。礼をいって別れを告げた。

江戸から津山まで陸路で行けば百七十里あるから今回は

横浜から船を乗継ぎ、備前まで行くことにした。中春の海は穏やかで船旅は順調である。

船の中でたべる飯は豪快だった。大きな土鍋に魚や貝を
入れ味噌仕立てで頂くのだ。

熱い飯にかけて食べてもうまい。シロにも木椀に
よそって冷やしてから食べさせた。

熱海で船を乗り継ぎ伊豆を廻って大坂に着いた。そこで陸に上がり船宿に一泊した。

江戸以上に街は賑わい商人が忙しく立ち動いている。成程大坂は商人の町と聞いておったが

そのとおりだなと
感心する。

農民から搾取するしかない武士は泰平の世の中ではもは無用ではないのか。横浜の異人ケリー

に異国ではどうなのかを訊きたかった。

大坂で船を乗り換え瀬戸の海をはしる。途中小さな小舟が凄い速さで寄って来た。海賊だというが

通行料を払うから心配ないらしい。

日生湊で船旅を終え西国街道を経て津山街道を一路北へむかう。

武助は健脚だ。歩くというより飛ぶように駆けている。武助の心は解き放たれた自由を感じる。

故郷の山や川が近いと臭いで感じる。

「 お師匠様、唯今帰りました」 武助は大きな声で叫んだ。

「 武助か! よく帰って来た。待ち兼ねたぞ」 師匠の横場宗玄が飛び出して

きた。少し痩せた感じがするが師匠の元気そうな姿を見て安心した。

「 お師匠様、永い間留守を致しまして申し訳御座いませんでした」

「 奥方様にはお変わりありませんか」

「 おや、おまえ変わったな、いや驚いた」 無口が治ったといいたいらしい。

玄関から師匠の部屋にあがり、旅装を解いた。懐かしい道場の臭いがする。

「 奥方様、帰ってまいりました。永の無沙汰をいたし申し訳ありません」

と奥方に挨拶をする。子供のような武助を見て奥方は目元を押さえる。

「 武助殿、寒河藩より土産が届いておりますぞ」 と奥方がいう。

「 おおそうじゃ、武助、おまえは大層な事をやらかしたそうじゃな」

「 はあ、まあ・・・」 と云うとシロがにゃあと顔をだした。

「 まあ、可愛い猫だこと。武助殿が飼っているのですか?」

「 そうです。シロといいます」 と云うとシロは奥方の膝の上に乗った。

「 お腹が空いているのかしら?よしよし」 と奥に抱いて行った。

「 積もる話はあるが、まあゆるりとせよ。風呂を沸かせよう」

「 井戸で身体を洗って参ります」 と云って旅塵にまみれた身体を井戸で

洗った。衣服を着替え改めて師匠と対面する。

「 武助、大人になったな。最早以前のおまえではない」

「 お師匠様、武助は変わりましたか。江戸に出ても剣の腕は思うように

上がりませんでした」

「 それ以上に大層な事をやったではないか。寒河藩から礼状が土産とともに

送られてきた。」

「 そもそもお前が作ったというグラスとは何なのじゃ」

「 はい、それは異人の間では普通に使われております」

「 ここに実物を持ってまいりました」 とこおりからグラスの湯飲みを出した」

「 なんとこれは透けておるではないか」

「 そうです。異人はこの容器に酒を入れて飲みます」

「 お前にそんな能力があったとはのう!」

「 いえ、これは泉屋と付き合いのある寒河藩のお家騒動を鎮めて以来お付き合いができまして、

お殿様に献策の一つにグラスの製造を勧めたのです」

「 ふーむ?」

「 わたしは鍛錬の為、横浜という所まで走ったことがございます」

「 横浜には異人が住んでおる小さな町がございます。その異人の館では窓と申す明り取りが

あり、それにグラスの板がはめ込まれておりました」

「 その製造を藩の殖産産業としてお勧めしたのです」

「 師匠、これより、善海和尚さまに挨拶してまいります。横浜で購入した

西洋の酒がありますので、こちらにお呼びしてもよろしいでしょうか」

「 和尚にはわしも無沙汰をしておる。奥に馳走を用意させよう」

寺の境内を掃除する小坊主の知念が武助をみつけ大声で叫んだ。

「 和尚様、内海さまがお帰りになりました!」

「 知念さん元気そうだな」 と横浜で買った菓子を渡した。

本堂から善海が、お〜と云って出て来た。

「 和尚様、武助、唯今戻りました」 

「 武助殿よう戻られた。待ちかねたぞよ」

「 和尚様、ご壮健のようすで安堵いたしました」

「 ははは、貧乏寺では身体を毎日動かすでの、歳は取っても元気じゃ」

「 それよりの、お前が送ってくれた金で、寺の傷んだ所を修復してもろうた」

「 それはよう御座いました」

武助は両親の墓に額づき無事に帰れた事を感謝した」

和尚は訊きたいことがある様だったが、武助が道場に異国の酒を持って帰った

と聞くや、すぐ支度を始めた。

「 これがワインという異国の酒でございます」 とグラスに注いだ。

「 おお、これがワインで、入れ物がグラスか・・・」

「 綺麗な色だな。奥、どうじゃ」 宗玄が奥方に訊く。

「 甘くて美味しゅうございます」 と奥方も満足そうで武助は嬉しかった。

「 和尚様にはこちらの方がお口に合いましょう」 とウイスケを出した。

「 何と!よい香りじゃな。琥珀色の酒じゃな」 和尚は舌なめずりしている。

「 少し強い酒ですからお気をつけください。異人は水で割って飲みます」

「 左様か、しかし酒を水で割るとは勿体ない」 と和尚はそのまま飲んだ。

「 如何でございますか、やはり強うございましょう?」

「 むーつ! これは強い。しかし何とも云えず、すっきりした良い味じゃ」

「 それはようございました。二本運んで参りましたので、ひとつお持ち帰り下さい」 と云うと

和尚は喜んだ。

「 酒のあてにはこれをお試し下さい」 とチーズを切って出した。

「 これは牛の乳を腐らせたものです。納豆の様なものです」

「 これをあてにのう・・・」 と恐る恐る口に運ぶ。 

「 うーむ、これは濃い味じゃ。これでウイキとやらを飲むと…美味いこれは絶妙の味じゃ」

 さすが酒飲みだ、初めてのチーズを美味いという。

「 それではそれもお持ち帰りください」 

「 いや、横場どのあなたが羨ましい」

「 ふむ、そう云われれば反論できぬな」 師匠が笑う。

「 自慢の弟子が帰り、何か云いたそうですな?」 和尚がからかう。

「 ははは、読まれたか、その通りじゃ」

「 武助はわれらにとって息子の様なもの故、この様に立派になって帰って参ったのが

ひとしお嬉しゅうござる」

「 あの武助どのがこの様に成長され、拙僧も嬉しゅうございます」

夜が更けるまで歓談が続いた。

次の日、朝から武助は木刀を持って山を走った。故郷の山は変わらず迎えてくれた。

走り、飛び、また駆ける、躍動する肉体は武助の心を解放してくれた。

二刻ほど走り満足して山を下りる途中で少年に出会った。

相手はこの様な山中で見知らぬ男に出会い訝しんだが、挨拶をした。

「 見かけぬ方ですが、どちらの方でしょうか?」

「 あー、これは驚かせて申し訳ない。拙者は内海武助ともうす」

「 これは失礼しました。私は津山藩殖産奉行手代に仕える飾東金吾と申します」

「 拙者は以前この山で修行した身でな、二年ぶりに当地に帰ったので、また

山に入ったのです」

「 左様ですか。えー、この山で修行された内海様と云えば、ひょつとして

川内流の・・・御高名はかねがねうかがっております」

「 ご存じか。如何にも横場道場で学んでおります。そなたは篭を背負って

おられるが、野草を取っておられたのかな」

「 はい、薬草摘みにまいりました。私は薬学を学んでおります」

「 この山にも薬効のある物が採れるのですか」

「 黄連、荊芥や心の臓に効くブシも採れます」

「 まてよ、横浜の異人に頂いたジギなんたらという心の臓の薬があったな」

「 いまジギタリスとおっしゃいましたか?」

「 毒にも薬にもなると聞きましたが、ご存じか?」 

「 心の臓の発作に効く薬と聞いておりますが、異国の薬とか・・・」

「 良ければ種子を少しお分けいたそう」

「 まことでございますか、有難うぞんじます」

「 私は江戸では泉屋という薬問屋に世話になっておるでな多少薬草の事は知っております」

「 これは聞きかじりですが、江戸においても小石川養生所などでも薬草の栽培が行われ、

朝鮮人参も会津等で栽培が行われているそうです」

「 ですからその栽培がうまくゆけば、泉屋との斡旋を引き受けてもいいですよ。それに薬草に

ついて聞きたいことがあれば泉屋に問い合わせをするといい」

「 重ね重ねのご配慮、感謝に堪えません」 飾東が嬉しそうにいう。

「 昼飯は済ませられたか?にぎりがあるから沢に下りて食べようか」

「 しかし今は晩夏であるから種の蒔き時としてはどうかな?」

沢の風に吹かれながら、分け合った握り飯を食べた。

「 内海さまは剣の御修行の他に色々とご勉強されているようですね」

「 武助と呼んで下さい。わしもお主を金吾殿と呼ぼう。左様、今の世の中は武士と云えど

それだけでは駄目だと気が付いたのじゃ」

「 横浜という所に異人の町があってな、そこで親切な異人に教えを受けた」

「 その異人の国ではな、町人がまつりごとを行うらしい。町人から選ばれた者が公方様の

様な権限を持っているそうな」

「 武士はいないのですか」 と不思議そうに金吾がいう。

「 軍人と言う者がおるが、それがもっぱら戦に従事するらしい」

「 大きな声では云えぬがな、いずれこの国もそうなるであろうと聞いたぞ」

「 まあそれは先のことじゃ。 とは言え其のことを踏まえながら生きる事が大切らしい」

「 その異人、ケリーは先を読めと云うた。時代の変革を感じ対処せよ・・・

いつまでも同じ考えに固執しては駄目だとな」

「 但し、それは自分の心にしまっておくことじゃ。当分武家社会は続く故な」

「 ところでそなた、酒造りにはくわしいかな」

「 我が家は貧しくはございますが、代々薬草調達をやっておりますので、どぶろく等は家で

作っております」

「 麦から酒を造った事は無いだろうな」

「 麦から酒ですか・・・ございません」

「 今度、光明寺に一度来て酒造りを教えてくれぬか」

「 よろしゅうございます。しかし麦からできますかどうか?」

「 おおよその作り方は異人からきいておるでな。今度寺に来たとき書付を

渡そう。それに麦から造ったウイスケという酒を一度のんでみてくれ」

ウイスケの原料は大麦でそれを発芽させる必要があるそうだ。

発芽した麦を乾燥させ酒にするための酵母と言う物を作るらしい。

酵母が十分育った物を麦芽といい、それをすり潰しきれいな水と混ぜて

麦汁という粥を作る。ここで糖分が増えるまで待ち、酵母を加えると発酵して酒が出来るらしい。

この酒は清酒の強さであるから、次に蒸留という工程に入る。

沸騰する手前の温度に保ち、蓋に通した管から蒸発する物を外に導き

冷えて落ちてきたものを別の器に貯めるのが蒸留だ。

ケリーは解り易いように絵をかいておいてくれた。

試行錯誤が楽しい事をこれまで経験していたから武助は金吾に任すつもりだ。のん兵衛の和尚も

協力するだろう。必要な資金は十分に渡しておくがあまり口を出さないつもりだ。

和尚に金吾の事を伝えておいた。ウイスケの事を云ったら舌なめずりをした。

「 この金はお主の暮らしにも遠慮なく使っていいぞ」 と酒造りの準備金を渡した。金吾は大金を

渡されて驚いている。

「 何度も失敗して経験を積むのだ。最初は少しずつやるといい」 と武助は

グラスづくりの経験談を金吾に話した」

「 私はもうじき江戸に帰らねばならぬ。だからお主自信が頑張ってほしい。

光明寺の和尚が手伝ってくれるよ、酒好きだからな」

「 薬草の事は江戸に帰ったら泉屋に云って参考になる物を寺に送らせよう」

翌日、武助はもみの付いた大麦と臼を調達した。難しいのは乾燥によって

発芽させたあと芽と根を取り除く方法である。

「 これは難物だな・・・」 と武助は呟く。金吾も頭をひねっている。

江戸に帰る日が近づいた。

「 お師匠様、奥方様御身体を御壮健に。和尚様お師匠様をよろしくお願いします。

そして和尚さま余り飲み過ぎないよう御身体にお気を付けください。

そして金吾殿ウイスキ造りを楽しんで下さい」 と武助は別れの言葉を述べた」

江戸への道程は遠い。作州街道、山陽道、東海道を通っていくのだが鍛えた

武助にはなんでもない。むしろ歩いたり駆けたりするのが楽しいのだ。

武助が飛ぶように山道を駆け上がり下ると出会う旅人が慌ててよける。

そうして山陽道に出た。吉井川で身体と衣服を洗い、新しい着物に着替える。

名物馬子うどんという幟のある茶店で昼餉をとった。シロも腹が空いたようだ。

若い娘がとなりでお茶を飲んでいる。

「 可愛い猫でございますね」 と声をかけてきた。

「 甘えん坊でな」 シロがわかったのかにゃあと鳴いた。

「 お武家さまどちらまでまいられますか」 鳥追い姿の娘がいう。

「 拙者は江戸に戻るところじゃ。そなたはどちらに参られる?」

「 あーよかった。途中までお供をしてよろしうございますか?何分女の一人旅で

心細うございまして」

「 拙者は足が速いぞ、それでよければ」 と腰を上げた。

「 有難うございます。私はおしんと申します」

「 そなた、旅慣れておられるようじゃな、それに中々隙がない」

「 まあ、御冗談を」 

遠くから馬蹄の響きが聞こえてきた。

急速に近づいた騎馬がぐるりと武助たちを囲んだ。

「 幕府の密偵ども神妙にいたせ、最早逃げられぬぞ」 と鉢巻をした侍が 

鞭を指して云う。

「 お待ちあれ、私共はただの旅人でござる」

「 黙れ、天領に密偵をもって探る不埒もの、問答無用じゃ捕縛せよ」 と刀を抜いた。

馬を降りた役人が包囲を狭める。

「 止む得ぬ、おしん殿後ろに付いていなさい」 と木刀を構えた。

斬りかかった一人に体当たりし、ぶつかり慌てる者を軽く打ちすえる。

続いて左に移動すると見せて正面をとびこしざま体を捻り残りの三人をポンポンと脛や膝を

叩いて転がした。

「 おしん殿、その馬を使おうか」 と手綱を掴んだ。

「 この様な事に巻き込まれるのは嫌じゃが止む得んな。そなた真に幕府の密偵か?」 

と後ろに乗せたおしんに訊く。

「 申し訳ありません。早く申せばその通りでございます」 と平気な顔だ。

「 うーむ、何を探っておったのじゃ。拙者は深川茂兵衛長屋に住まいする

浪人、立花武助と申す」

「 老中稲葉貞家の配下でおしんと申します。内海さまにだけ申しますが

天領備前廿日村郡代東野周防の金採掘に不正ありと届があり、調べており

ました」 なにか値打ちを持たせたように云う。

「 左様か幕府の施作など拙者には関係ない故近くの宿場まで同道しょうか」

「 そんなー冷たいお方」 とすねる。中々の役者だ。

「 郡代は近隣の百姓をその使役に従事させた為、村人の耕作にも支障をきたしていると

庄屋からの訴状が届いたのですが、その庄屋も幽閉されておりました。密かに村の助役や

お百姓から実情を訊きだしたところです」

「 ふむふむ・・・」 老中の名を出しても気の無い返事をする武助におしんは呆れたようだ。

武士で浪人とくれば普通のものなら喰いついて来るはずだが?

「 内海様は大層な剣術の腕前でございますね。先ほどは驚きました」

「 拙者を誉めても何も出んぞ」

「 稲葉さまには同輩の者が先行して届を出しておりますので勘定奉行配下の者がそろそろ

こちらに参るはずですが・・・」 と言いよどむ。

「 郡代が素直に罪を認めようとは思われません。それに勘定奉行の配下の

者は数名いるのでございます」

「 郡代東野様は元目付をされており腕達者な者が配下に多いいのです。山流しに合ったと

お上を恨み無謀ともいえる採掘横領にはしっておられます」

「 ふむふむ・・・」

「 もう! 意地悪な、ここまで云えばお判りでしょう」

「 分かっておるわ。百姓を助ける為なら助力しよう。しかしお主の繋ぎはおらんのか?

ひとりではあるまい」

「 先ほど地蔵さまに連絡の文がありました。採掘場を探りに行くとか」

「 行くのかそこに?」

「 お願いします。同道してください」 と頭をさげる。

採掘場まではかなりの道のりだった。おまけに山道である。

おしんはばてているが口には出さない。仕方なく刀を渡し背負ってやった。

武助が駆け始めるとおしんが驚いている。懐のシロは慣れており大人しい。

沢に下り水を飲む。茶屋で買った握り飯で腹を満たす。シロにはするめを裂いてやった。

向うの峰に煙が上がっている。人の声も聞こえてくる。

身を隠しながら峯の頂上まで近寄ると眼下に採掘場が見えた。

もっこを担ぐ者が忙しく採掘穴から出入している。それを見張る役人の他

周囲を監視する者もいる。これでは近寄れないので暗くなるのを待った。

「 つなぎがいないのはおかしい? 尽八殿は捕まったかも」 とおしんが暗い顔で云う。

夜になりおしんが忍び装束に着替えて出てきた。

見張りの者の配置を訊きながら干し飯をかみ、シロはするめを食べる。

牢の配置を訊き何かあれば反対側で騒ぎを起こす様に頼んだ。

獣のように静かに武助が飛び出した。役人の小屋をすり抜け牢に近づくと

見張りが眠そうな顔でいた。たちまち三人の見張りを当身で眠らせ、合鍵で

牢を開けてまわる。

「 おしんの連れ殿、甚八殿、助けに参った」 と声をかける。

「 おー勘定方か?」 と声がする。近寄るとかなり痛めつけられた風体の者が呻いた。牢の中に

入り肩を貸して出る。

「 ここには何人閉じ込められているのじゃ」 と訊く。

「 おそらく数名でしょう」 

「 ついでに助けるか。外で身を隠していてください」 と云い外に連れ出した。

他の牢の中は百姓達だった。聞いていたのかぞろぞろ出てきたので甚八と一緒に峰まで逃れた。

村の外れの寺の住職に金を渡し飯と風呂の用意を頼んだ。

「 お主たち幕府の役人がくるらしいからそれまでここに隠れていなさい」 と云った。訴状が届い

たのだと村人は喜んだ。甚八の傷の手当てを施した後
粥を食べさせた。シロには猫飯を与え、

武助も茶漬けを食べた。

「 内海様、郡代は金を持って逃げ出す支度をしているようです」 とおしんが帰ってきて云う。

困ったことに勘定方の役人はまだ着いていない。

しかたがない、百姓の手を借りよう。郡代が逃げ出さないよう屋敷を囲むのだ。その手配をして

くれとおしんに頼んだ。

郡代の陣屋では貯めこんだ金を馬に乗せたり逃亡の準備をしていた。

警護の侍の中には火縄銃を持つ者が三人程いる。

「 あれがやっかいだな・・・」 と武助が呟く。

やがて郡代らしき人物が部屋から出てきた。

「 御前、準備が整いました。これより荷駄とともに吉井川の船着場にまいります。美濃、お主らは

御前の周りから身を離すな」 と用人らしき者が云う。

「 これよりは面体を皆隠せ。邪魔者は排除せよ」 と云った時屋敷の外から

わーっという声が響いた。

「 御前、百姓共が屋敷を囲んでおります」 

「 うぬ、百姓どもめ、御前を警護する者以外で蹴散らせ!」

門を開けると打合せどおり遠まきに囲んだ村人が石を投げてきた。

狼狽する役人に激怒した東野が鉄砲で撃ち殺せと叫ぶ。

屋根から飛び下りた武助が鉄砲を持つ役人を打ち据えた。

門前であわてる役人を次々と木刀で打ち据え、郡代と向き合った。

なんじゃ刀を持ったものはお前一人か、美濃、打ち取ってしまえ。

「 承知、伯耆卜伝流皆伝者美濃忠恒じゃ」

「 川内流内海武助でござる。いざ!」 美濃は大樹のようにどっしりした構えでじりじりと肉迫して

くる。相当の使い手である。木刀を捨てた武助は剣を

まだ抜かない。美濃との距離が詰まるほど腰を落としていく。

美濃の気迫が炎のようにちりちりと圧倒してくる。

キラツ、キラッと光が交差した。両者はそのまま動かない。やがて美濃の胸から血が噴き出した。

勝負は一瞬だった。声の出ない警護の者達に

「 どうだねお主ら、斬り死にするか、それともその馬鹿殿を放って逃げるか?時間はないぞ、

勘定方がもうじきやってくる」 と武助が警護役に云った。

「 おれは逃げるぞ命あっての物種だ!」 と次々に逃げ出した。

「 勝負ありですぞお殿様、この上は神妙にした方がよいですな」 

「 おのれ下郎許さん!」 と斬りかかって来たから仕方無く峯で打ち据えた。

村人の手で郡代や役人を縛り上げ、武助は庄屋の家で勘定方の役人を待った。

風呂に入り、衣服を着替えた。大層な膳が並び、庄屋が出てきてくどくどと礼をいう。

シロにもお頭つきの魚が出てびっくりしている。

「 まあ拙者は手伝っただけですから・・・」 と返事する。

おしんと甚八がやってきて勘定方は明日にも到着すると云った。

「 内海様にはご迷惑かけました。このお礼は江戸で」 と頭をさげる。

「 いやなに、おしん殿がきれいだったのでつい口車に乗ったまでです」 と

武助にしてははなかなかいきな事を云う。

「 内海様といえば立花道場の・・・」 と甚八が云う。

「 左様、みすぎ世過ぎのため後見をやっております。御存知でしたか」

「 隅田川の土手で鍛錬される姿を見ております。一時天狗が出ると云うことで視察に

まいりました。成程それであの様に素早く動けるのですな」

「 それはあなた方のことでしょう。出来れば道場で指導してほしいものです」

「 ははは、仕事柄それは出来ませんが、今後ともお付き合いをお願いしたいものです」

 と甚八がいう。

庄屋や村役たちと大いに飲んで、久しぶりに武助はぐっすり眠った。

翌日、勘定方に色々訊かれたが甚八とおしんに説明を受けた役人から長々と礼を云われた。

村人が途中まで見送ってくれ、また一人と一匹の旅を再開した。

横浜の異人の町に立ち寄り、日本酒やあわびの粕漬、からすみ等を土産に渡すとケリーは

喜んでくれた。

永い旅も終り、やっと長屋にたどり着いた。大家と長屋の連中に土産を渡すと今晩は酒盛りを

やるというので酒を買いに行くよう金を渡した。

先に湯屋に行き汗を流すとやっと江戸に着いた気がしたのは、心のどこかで

騒々しい雰囲気を求めていたのかもしれない。

遠慮のない連中と、あーだ、こーだ云いながら飲むのも武助は好きだった。

翌日は遅くまで起きなかった。シロが顔の上で尻尾を振り回すので仕方なく

起きたが飲み過ぎて頭が痛かった。顔を洗い、拭き楊枝で歯を磨くとやっと

しゃっきりしてきた。飯をたき、近所で貰った鰯でシロと朝飯を食べた。

「 藪蕎麦と道場に顔を出すか」 と重い腰を上げた。

そんな時、おしんが早速やってきた。長屋のかみさんたちが顔を合わせて

何か云っている。これまで女っ気の無い武助の長屋に綺麗な娘がやってきたから仕方ない。

「 あら、お出かけでしたの」 とおしんが残念そうに言う。

「 いや土産をな、そば屋と道場に届けようと思ってな」

「 話ならそこまで一緒に行かぬか?」 

「 あらいいの?そば屋にいい人がいたりして」 

「 いい人はおらんが。可愛い子はいるぞ」 そんな話にかみさんたちが耳を

そばだてている。わざとおしんはしゃなりしゃなりと腰を振って歩く。

藪蕎麦に行くと、伊助と女房のたかよときくが

「 お帰りなさい。永かったですな」

「 猫のおじちゃん遅いよ」 と次々に云う。

「 これは、無沙汰をしておったな」 とアワビの粕漬を渡し、きくには

「 きくちゃん、これは異国の髪飾りだそうな」 とリボンを渡した。きくは

それを日に透かしてきれい、きれいと喜んでいる。

「 おしん殿、ここは拙者の馴染みの藪蕎麦じゃ、主人はお上の御用も務めている伊助さんじゃ」

 とおしんに紹介する。

「 お初にお目にかかります。おしんと申します。内海様とは旅先でご縁が

ありまして、厚かましくも同道致しました」 と誤解を招くような事をいう。

「 何がご縁じや、他人が誤解するではないか。早く用件を申せ」

「 御前さまが一度会いたいと云っておられます」

「 御老中が・・・まさか、かつぐ気か?」

「 とんでもございません、本当です」

「 まあそのうちな、拙者は忙しいんじゃ」

「 まあ、つれないこと。ではいつでもお待ちしております」 と帰っていった。

道場に顔を出すと門弟たちがどっと集まって来た。

こんなところにおしんなどが来たらえらい事だったとほっとした。

立花さまはご在宅か?と聞くと最近は道場を三宅に任せ常磐津の稽古に

行っているらしい。常磐津とは何かと訊くと三味線を弾きながら歌うらしい。

少し呆れたが、立花殿も三宅という跡取りができたのだからいいかと思った。

稽古には明日から出るといって道場を後にした。



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第6章 寒川藩の危機
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