第十四章 開墾始まる
津山に戻った武助は留守の間の報告を受けた。
シャボン組、クッキ組は製造規模を拡大し、販路も伸ばしたらしい。
その収益は蔓矢によると想像以上の額であった。
この調子でいけば莫大な額になると予想した。
金吾の話では蒸留器を増やしたので今まで以上の試験ができるように
なったらしい。 そこでケリーから貰ったランプを見せた。
その明るさに驚いたようだ。そしてケリーが描いてくれた絵図をみせると
金吾は好奇心がむくむくと湧いてきたらしい。目が輝いている。
「 これはな、ランプといって西洋の灯りだ。すごかろう」
「 それでなお主に頼みがある。これも行灯のように油を燃やしている
のだが我が国では手に入りにくいものでな、何かで代用したい」
「 それは菜種油ではだめでしょうか」
「 それがな、この明るさを発揮しているのは軽い油でないと・・・」
「 難しそうですね。菜種油を蒸留しても出てくるのは同じもので
しょうし・・・」
それで武助は金吾に水蒸気蒸留という方法がある事を説明した。
「 そんな方法があるとは、やはり西洋の文化は違いますね」
「 簡単でいいから水蒸気を加える方法を考えてくれないかな」
「 やりましょう。面白そうです」
「 そうか有難い。なんとかなりそうと分かったら鍛冶屋に頼もうか」
鍛冶屋も最近はいい得意先とみて面倒な頼みを聞いてくれるのだ。
それと気になっていた事は蔓矢達の水利調査がどのような結果に
なったかだった。それは一人では出来ないし、竿や紐を持って歩き回る
距離も半端ではない。その苦労を思いながら実際に耕作が可能な土地が
あるのか問うた。
「 調べたのは沢の上部でこの部分ですが、水を引ける場所がありました。
少し遠回りになりますが、山を迂回すれば台地に水が引けます。
ただそれにはかなりの距離に水路を造らねばなりません。水の量も
かなりありますが、台地全体を潤すとなると途中にため池が要ります」
蔓矢は図を示しながら説明した。
「 成程、大変でしたね、ご苦労でした。そうするとどのくらいの手が
必要になりますか」
「 おそらく五十名の手が必要でしょう。そうなると山に泊まる小屋、
食料を運搬する手段も考えねばなりません」
「 わかりました。ではその事を信守様に説明する為これまでの事を
まとめてください」
武助は蔓矢を連れて森信守に面会した。
「 おー、内海殿帰ったのか、それで山の水利のことじゃが・・」
「 お殿様、その事につき、調査をしました蔓矢よりご説明をさせて
いただきます」
「 左様か、案じておつたのじゃ。それでどうであった」
「 恐れながらわたしめの調べによりますと、あの台地のこの部分に
水を引くことは可能であります」
「 ただそれには水路を切り開く必要があります。その人手は五十名、
費用はおよそ千両くらいかと」
「 うーん、千両とな・・・。耕作地が広がるのは嬉しいが」
「 ご心配なく費用はこちらで賄います。ただし農民にそのような事を
無理にさせるわけにはまいりません」
「 どうすればよいのじゃ・・・」
「 御家中から人を出してもらいます」
「 人か、それくらいはせんとな。 しかし難しいな」
「 成程、武士にその様な事はという事ですな」
「 恐れながら武士の役目とは何でしょうか」
「 戦のない今ではせいぜい治安を守る事くらいであります」
「 うーん」
「 領民の負担を増やすだけで自らは何もしないではじり貧であります」
「 失礼ながら、いま碌の三分を借り上げをされておられましょう」
「 おー、止む無くな」
「 水路工事をやるという方にはその分をこちらで負担しましょう」
「 できるのか、その様なことが」
「 まあ餌という形になりますが仕方ないでしょう」
「 わかった。そなたにそこまでしてもらって申し訳なく思う。山手奉行に
命じて人数を揃えよう」
武助と蔓矢は山手奉行らと具体的な今後の打ち合わせを行った。
かなりやる気になったのか殿様自ら手伝うと云う。
このやる気こそ武助が待っていたものだった。
金吾から菜種油の蒸留が出来たと聞いて飛んで行った。
「 採れました。かなりさらさらとした感じです」 と嬉しそうだ。
皿にとって元の油と燃え方を比較してみると明らかに違うようだ。
とりあえず、油壺に芯を入れ四方をガラス板で囲って簡易的なランプ
にして火を付けた。ケリーに貰ったランプと遜色ない明るさだ。
「 金吾殿でかした。油はこれでいこう。早速だが鍛冶屋にランプを見せて
灯油皿と同じ形のものを頼んでくれないか」
こうなれば寺本、楠田に頼んでホヤの部分を作って貰おう。
武助はその旨をしたため、詳しい図面と為替を泉屋のもとに送った。
これが出来るとなると問題は組み立ては何処でやるかだ。
いちいちホヤの部分を津山に送って貰うのは大変な無駄になる。
やはり組み立ては江戸になろうか。泉屋は儲けになるからやるだろう。
武助はあの台地一面に菜の花が咲き誇る姿を想像した。
菜種は栽培しやすいし絞りカスは山羊などの餌になるしな。
そしてその糞は土地の肥料になるだろう。
よし、今度信守様に云ってやろう。台地に菜種を植えれば採れた
油は全部こちらで購入すると。
山行きは金に釣られて大勢がやる気になつたらしい。
しかし中には未だに武士の沽券を持ち出す者がいるらしい。
ある日そのような者が道場に大勢やつてきた。
「 その方が内海か、我藩に取り入り儲けを企む薄汚い奴め
我らが懲らしめる」 等とはじめから喧嘩腰だ。
「 出来る物ならやってごらんなさい。ぬくぬくと領民から
搾取しているのはあなた達でしょう」 と云ってやった。
本当の事を云われ頭に血がのぼった連中が刀を抜いたので
全員の髷を切り飛ばしてやった。
「 よくそんな腕で武士だとか云えますね」 連中は頭を押さえて
逃げていった。
翌日またあの家老がやってきた。
「 内海殿まことに申し訳ない。馬鹿者どもが押し寄せたらしいな」
「 井口様、お気になさることはありません。頭の固い者は
何処にでもおりますから」
「 あの者どもは既に処分いたした。放逐じゃ」
「 ほほう、思い切られましたな」
「 それでな、山小屋も数棟できたので見に来てほしいのじゃ」
「 わかりました。早速食料を運び上げましょう」
門弟に急がせて麓に作られた小屋に食料や薪を等を運びあげた。
ちょっとした煮炊きする場所を作り、飯と味噌汁、山魚を焼き
藩士をもてなした。
「 おお、これは馳走じゃな、家の飯よりよほどいい」
さらに酒や甘いものをふるまうと感激したらしい。
「 貴方がたは役に立つ仕事をされているのですからこれくらい
当然です。愉快にやってください」 と云ってやつた。
大きな石を動かしたり、もっこで土を運んだりするのだから重労働だ。
藩主も時折やってきて手伝っているからお付きのものも見ているわけにも
いけない。武助は門弟に大鍋を運ばせ猪鍋をふるまった。
「 なに、これが猪鍋か・・・旨い、旨すぎる」 と感激している。
「 自然の中でお食べになるとまたお食事の味もかわりましょう」
「 いや、普段この様に旨い物は食しておらんのじゃ」
そんなこんなで思ったより早く水路が完成した。台地の四方に水路を
巡らせた。大勢の手によって起伏を均すと見違えるような風景となった。
「 お殿様、ここには菜種を植えてください。出来た菜種油はこちらで
購入いたします」
「 おー左様か楽しみじゃな」
「 さらにこちら側には煙草を植えてもらいます。できた葉の加工は
そちらでおこないます。こちらも藩の主産業になりましょう」
「 隣の台地は楮や三椏と葡萄の苗木をを植えます。こちらはしばらく
刻がかかります」
「 水を引いてない台地は山羊を放牧します。ここで採れる乳も
こちらで買い取ります」
「 うーん、有難い。こうも早く水路ができるとはな、それで引き続き
台地の管理は藩士にやらせてよいのじゃな」
「 それは御領地でありますからそうなりましょう」
「 いや、借り上げ分のことじゃ。奴めらはそれがいただけるなら
城勤めより良いと申す者がおるとか・・・情けないわ」
「 まあまあ、貧乏は誰でも嫌なものです」
「 菜種畑は獣のに荒らされるとものになりませんが・・・」
「 心配いたすな藩士とてやるときはやるぞ」
「 しかし、山羊の面倒も本当にご藩士がみてくれるのですか。
水やりも必要ですし、獣に襲われないようにしなければなりませんよ」
「 金の力は偉大なものよ。わしが厳しく命じる」
「 それで、お殿様米糠はどうされていますか」
「 米糠とは何であるかな・・・」
「 米を挽いた後の粉が糠でございます」
「 ほー、それは初めて聞いたぞ」 やはりお殿様だ。
「 その糠を台地に撒くと肥料になります」
「 左様であるか、ふーむ」 まあなんとかなるかと武助は思った。
殿様は変わられたな。いや津山藩の多くの家臣も生き生きしている。
その事を伝えると
「 我藩の借財もこれで減っていくだろう。我らにも希望が見える。
だから皆前向きなのだろう。わしもそうじゃ」
「 寒川藩のように借財も無くなり名君と呼ばれる日も近こう
ございましょう。その為に私めもさらに力になりましょう」
武助は全体を把握するためあちこちを歩きまわる。
何か問題はないか、進み具合はどうか、これらは直に接しないと
分らない事もある。常に風通しを良くしておかねばならないのだ。
仁那寺は相変わらず静かだが、広い境内の裏側では知念がせわしく
動き、何かをやっている。
武助が声をかけると泣きそうな顔をしてぼやいた。
「 内海様、まったくやってられませんよ」
「 和尚様が色々と仕事を云いつけるので寺の仕事ができないんです」
「 そうか、それは大変だな本業がお留守になってはな。よく云っておこう」
と持ってきたクッキを渡した。
「 ところでそれは麦芽の鍋かね」
「 そう、こうやってかき混ぜていろって・・・」
「 成程、ところで小僧さんの給金は増えんのかね」
「 最近は和尚さんの懐が温かいので親に送れるほど頂いていますが」
横浜のケリーの館に仁奈寺特性のウイスケを出荷しているのだ。
和尚が出てきたので知念の愚痴を伝えてやった。
「 それと和尚さん、そろそろ人出を増やしてはどうですか」
「 そうなんだ、こう忙しくなるとゆっくり酒も飲めんわ」
「 そのせいか、以前より若くおなりのようです」
「 貧乏な田舎寺を維持するにはしょうがあるまいな」
「 とおっしやりながら楽しそうですな」
仁奈寺にも新しい風が吹いているな、と感じる。
そして金吾が設計した水蒸気蒸留器は出来上がり効率よく菜種油を
蒸留している。
鍛冶屋は大きな作業場になって何人もの人間が作業している。
「 親方、忙しそうですな」
「 内藤様のお陰でやす。もったいないほどの立派な作業場になりました」
「 親方がいないとわしらの仕事が回りませんからね」
「 いつもスキや鍬ばかりで飽き飽きしてたんでさあ」
「 いや、親方の腕がいいのであり難く思っているんだ。問題があれば何でも
云ってくだされ」
「 へえ、内海様に云えば道具でも何でも揃えて貰えるので助かってます」
ここではホヤ以外の油壺や芯を調節する座金、吊り下げる部品等を
造ってもらっている。これらを泉屋に送り寒河藩から送られてくる
ホヤと組み合わせるのだ。
いまではこの部分は鍛冶屋が加工しやすいよう銅で作るようにしたのだ。
その為以前より大分軽くなったし、装飾加工もヤスリでできる。
これをウイスケと共にケリーに送ったら脱帽すると云ってきた。
泉屋ではランプ専門の店を出したそうである。
今迄の行灯等に比べ明るさが桁違いに違うので高値で売れているらしい。
この需要が高まれば蒸留した油の出荷も大変な量になるだろう。
油の残滓はシャボン造りにも使えるので無駄がないのだ。