第十二章 再び江戸に





みなに留守を託し武助らは津山を発つた。

一行には武助夫婦の他、寒河藩の寺本と楠田と門弟の森川と菊池が

加わった。シャボンなどの搬送は泉屋が便宜をはかり下津井港から摂津を経て

江戸に向かう弁財船で行っている。武助たちもそれに便乗させてもらう

ことにした。

「 この山道を運ぶのは大変でありますな」 起伏は緩やかだが備前まで

の道はかなりある。

「 だからな販路が広がればわしらは製造だけをすることにしたい」

ようやく下津井の港が見えてきた。

「 助かった・・・陸路は流石に辛い」 寺本と楠田がぼやく。

馬に乗ってとはいえ、この二人は出羽の国から遥々やってきたのだから

気持ちがわかる。


寺本と楠田の話によるとグラスの製造は寒河藩では最早基幹産業に

なっているそうで需要の拡大で益々事業を拡大しているらしい。

二人はグラス製造奉行を拝命しておりその功績により近々さらに

加増が決まっているそうだ。

「 それは良かったな」

「 うん、それ故責任も重い、さらに丈夫で均一な製品を目指している」

「 成程、お前らならできるだろう。困ったことがあれば知らせろ」

「 それでな、新しいグラスを開発したいのだが中々思いつかんのだ」

「 そうか、ではケリー殿の屋敷に顔を出すから色々見聞するといい」

そうして無事に横浜の港に着いた武助たちはケリーの屋敷に赴いた。

「 やあ、良く来てくれました」 ケリーは愛想よく歓待してくれた。

寺本と楠田が寒河藩で出世した事を伝えると我事のように

喜んでくれた。紅茶にクッキが出された。

武助は持参したクッキを味見してもらった。

「 よくできています。これは牛乳ですか、濃厚でこくがありますね」

「 牛が飼えないので山羊の乳とバターを使いました」

「 なるほど、この甘みは砂糖ではないですね」

「 はい、砂糖が高価なためやむ得ず麦芽糖を使っております」

「 ではこのクッキーを食べてみてください」 

おや、この菓子には黒い物が入っているな、おっ、甘い、何だろう。

武助がその甘さに感心するとねケリーはニャッと笑って

「 それは干しぶどう、葡萄の実をほしたものです。甘いでしょう」

武助はをもっと葡萄を育てるべきだと感じた。

さらに和尚謹製のウイスケを差し出した。

「 おっ、これは香りがいいですね、苦みもホップではありませんね。

いい出来ですと驚いている」

それは津山の坊さんが呑み助でケリーに貰ったウイスケの味が

忘れられず作ったものだと云うと大笑いした。

「 これは中々のものです。何とかこれを送って貰えないか」 という。

善海の努力が商売になりそうだ。

さらにケリーに教えてもらった蒸留器で抽出した匂い水を渡した。

「 おーこれは金木犀ですね。それでこれは何でしょう。清々しい香りが

します。ふんふん、これはいい」

「 その匂い水は植物に詳しい若者が黒文字の木から取り出したものです」   

「 この国の人は器用ですね。元の物よりいいものを作ります」

と感心した。それと匂い水では安っぽいからアロマにしなさいと云う。 

「 アロマは色々作って送りなさい」 いいものは国に送るという。

「 それで頼みがあります」 とケリーは云った。

「 じつはまた偉人街が物騒になっているのです」 

唐人と新たに入ってきたヤクザの縄張り争いが頻繁に起こっているという。

凶暴な連中で、監視する役人も及び腰で町会所も困っているそうだ。

「 いつもお世話になっているからやらせてもらいます。それではここは

孫氏の兵法でいきましょう」 お互いを煽って共倒れになっていところを

一挙に片付けるつもりだ。

深夜両方の陣営に爆竹を投げ込んだ者がいた。武助と寺本と楠田だ。

出てきた者をこん棒で殴りつけサッと引き上げた。

俄かに緊迫感が高まり武装した連中が出て街の中央でぶつかり合った。

両者に相当被害が出たところで武助たちが切り伏せていく。

あらかた片付いたところで捕り手と共にねぐらに乗り込んだ。

唐人の屋敷から恐ろし気な髭の大男が大八蛇矛を振り回して出てきたが

武助が一撃で倒すと、あっという間に総崩れになった。

ヤクザの陣屋に乗り込むと人斬りの好きそうな浪人がぞろぞろと

出てきた。しかし武助たちにはかなわなかった。一瞬のうちに全員を

楽にさせた。逃げにはいったヤクザたちは捕り手たちにによって捕縛された。

恐る恐る見ていた人々が歓声を挙げ、町年寄たちが礼を述べた。

この様なことで顔つなぎをする事が大切だということを武助は心得ている。

「 貴方と知り合えて本当に良かった」 とケリーが嬉し気に云う。

「 とんでもありません。貴方のお陰で面白い経験をさせてもらっています」

異人街で貰ったお土産で荷物が増えたがねようやく江戸の町に入った。

破蕎麦に顔を出すと歓待された。やはり江戸の蕎麦はうまい。

「 きくちゃん、大きくなったな、もう土産は人形でもなかつたかな」

「 ううん、うれしいわ、猫のおじちゃんありがとう」

「 旦那、いつもすみませんね」 

「 伊助さんもたかよさんも変わりなさそうだな。寒河のお殿様に呼ばれて

な、帰ってきたのじゃ。 これからまず立花道場にも顔を出すつもりだ」

しばらく江戸にはいるからまた顔を出すといって道場にむかった。

「 おー、武助殿、寺本、楠田久し振りじゃなー おーかな芽どのも、

良く来てくれた」

「 師範、お久しぶりです。常磐津の腕はあがりましたか」 

「 それか、あれはまずまずだな」 と鼻の下を伸ばした。

「 これは異人街でいただいた南蛮の壺です。道場に置いてください」

「 なに、南蛮とな、うーんこれは立派なものじやな、いいのか」

「 本日は顔出しだけでございます。いずれまたゆっくり道場を使わせて

いただきます」 

江戸に帰れば顔出しをする所が沢山あるが、武助たちの事業に便宜を

色々とはかってくれた泉屋に行かねばならない。

日本橋の泉屋は間口も大きくなり大変な繁盛ぶりである。

「 幸兵衛殿、お香殿、須藤ではなかつた若旦那、元気そうだな」

「 これは、これは武助様、奥方様、よくおこしくださいました」

「 いや、シャボンやクッキの件ではいろいろ世話になります」

「 とんでもございません、武助様のおかげで本業以外でも商売は

大繁盛でございます。有難いことです」

「 若旦那、お香さんはお腹が大きくないか」

「 そうなんです。これで私も一安心です。ウヒウヒ」

「 仲が良くて結構だ」

「 ところで宿はお決まりですか」

「 いや、決まっておらん。これから宿探しだ」

「 なれば別宅がございます。すでに用意をしておりますのでそちらで

旅の疲れをお癒し下さい」

寺本、楠田は寒川藩のの上屋敷に戻るそうで別れた。明日そちらを

訪ねると伝えた。

泉屋の別宅は広かった。使用人が二人おり細々と世話をしてくれる。

「 かな芽疲れたであろう。 明日は宇津木家に挨拶に参ろう。そして

お前はそこでゆっくりしなさい」

「 森川と菊池どうだお江戸の印象は」

「 師範代、驚きました。津山とはまるで違います」

「 そうだろう。若いうちに何でも経験するのは良い事だぞ」

「 あの大勢の人間がごちゃごちゃと暮らしておるのですか」

「 そうだ、それぞれが己の知恵で暮らしておるのだ。お前たちも

いつまでもぼんやりしていてはいけない」

次の朝、旗本の宇津木家を訪れた。

難しい顔をして出てきた宇津木和馬がかな芽をみてゆるんだ。

「 お殿様無沙汰をして申し訳ありません。所要があり江戸に

出てまいりました」

「 おー左様か、二人とも元気そうじゃな、結構、結構」

「 これは私どもが作りましたアロマであります。奥方にどうぞ」

「 こちらは西洋菓子です。こちらは異人街でいただいた南蛮の

壺であります。お納めください」

「 なに南蛮とな立派な壺であるな、よろしいのか」

「 異人街の商人が礼にくれたものですが、よろしければ」

「 それはすまんな。貰ってばかりでちと言いにくいことじゃが・・・」

「 御養子の事ですか。私も気になつておりました」

「 左様か、誰か知らぬか・・・」

「 立花道場で聞いてみましょう」

「 かな芽、お前はしばらく親孝行をしなさい。わしは森川と菊池と

寒川藩のに行ってくるでな」

家老があたふたと出てきた。

「 内海殿遅いではないか、殿が待っておられる。早うこちらへ」

「 ご家老、これは土産でござる。なに殿さまには別に持ってきています」

「 左様か、これは痛み入る」

広間には藩主 寒河俊光が待っていた。

「 内海殿遅かったな待ちくたびれたぞ」

「 ハハッ、遅くなり申し訳ございません」

「 いやまあよい。そなたまた何かしでかしたようじゃの。泉屋から

聞いておるぞ」

「 はあ、くにの若者達の為に新たな事業を始めました」

「 グラスとは異なり庶民相手の事業であります」 と紙箱に収められた

シャボンとクッキ、アロマを差し出した。

「 なんと綺麗な箱じゃな。何々、花シャボンとな。うーん」

「 よい香りがしましょう。それは庶民の洗濯が楽になるよう開発したものです。

この者らが開発いたしました」

「 うーん、内海殿頼みがある」

「 分かっております。寒川藩の新た産物にしたいのでしょう」

「 承知してくれるか。うー有難いこのとおりじゃ」 と頭を下げた。

「 殿様、グラスでは大層お稼ぎになっておられるとか」

「 寺本、楠田らが頑張ったでな。それに異人街の商人の家ですりガラス

を見たといつてな、どのように作るか考えておるようだ」

「 ははあ、あれに気が付くととは・・あの者らも鋭くなりましたな」

「 シャボンも殖産に加えられると思いこの者達を連れて参りました。

森川と菊池であります」 武助は二人に挨拶をさせた。

「 おーそうか、分かっておるニンジンであろう」 愉快な殿様だ。

「 お殿様、この者たちは田舎育ちの朴訥な者たちでございます。調子が出るまで

何とぞよろしくお引き回しください」

「 よしよし、分かっておる心配いたすな」

「 こちらの生洋菓子はクッキと申します。若様に差し上げてくださいませ」

「 そしてこちらはアロマという香水でございます。奥方様にどうぞ」

「 おーそうか、世話になるな」

「 それでな、老中の稲葉様がな、内海殿が帰られたら顔を出す

ようにいわれておった」

「 いやー外様のわしなどに声をかけられて驚いたぞ。お主老中にも

顔がきくのか」

「 まあ成り行きでございます」

「 羨ましい、お主のように破天荒な生き方がしたいぞ」

「 しかし御家中や領民から名君と呼ばれるお方がそのような」

「 まず、お主のように伸び伸びと暮らしたいな」

「 それは若様がご成長になれば可能でしょう。それまで御隠居されれば

何をすればよいか今のうちに考えるのも楽しみでしょう」

「 うーん、良いことを聞いた。よし、それまでは面倒な城勤めもがまんするか」

「 釣りや芝居見物はなされませんか。上手な息抜きは必要でありますぞ」

「 若い時分はやったぞ。そうか上手にな、ふむふむわかった」

「 御隠居された時は気ままな旅をなさいませ。各地の温泉巡りも

よろしいかとおもいます」



<
第十三章 老中の頼み
inserted by FC2 system