第十一章  本格的な製造



武助はかな芽と共に日課にしている山歩きに出かけた。

二人とも野山を獣のように駆け巡るのが大好きで、これをやらないと

落ち着かないのだ。毎朝稽古着に木刀を持って走る二人は変人と思われた

ようだが、口をきくと結構くだけた人間とわかり近所のものは安心したようだ。

そして最近は試してほしいと、色々な珍しいものを分けてくれる。

特にあのシャボンとやらは洗濯に使ってみると、汚れが格段におちるので

驚いた。こんなものをあの人たちは作っているのか。

お礼に野菜などを持って行くと若奥様は喜んでくれた。

「 貴方様、今日は村の人が山芋と牛蒡を持ってきてきてくれました」

「 そうか、ここらは米以外は大したものは取れないからお百姓は

大変だと思うな。何か金になる仕事を見つけてあげられたらいいのだが」

「 その事ですが、シャボンは今のところ一つずつ木枠に入れて乾かして

いますね」

「 やはりかな芽も気が付いておったか。あれは効率がわるい」

「 あの木枠をもっと大きくして、半分乾いたところで切り分けては

どうでしょうか」

「 ふーん、なるほどな、すると大鍋も増やす必要があるし、作業を

分担した方がよいかもな」

「 クッキは良いものが出来るようになりましたね」

「 今な、鍛冶屋に専用の焼き台をつくってもらっておるんじゃ」

「 そうするとやはり作業場を作っておいて良うございました」

「 道場の門弟以外にも手伝ってくれる人をもっと増やさないといけない」

「 ではかな芽から門弟に頼んでおいてくれるかい」

「 ではとりあえず十人ほど募集しておきましょう」



「 武助さん、このような物でよろしいでしょうか」 

金吾がレッテルを貼った紙袋を持参した。

「 おーっ、できたのですか、ふむこれは中々しゃれている、素晴らしい。

これで商品の値打ちがあがるでしょう。ありがとう」

「 とんでもありません。楽しい仕事でした」

こうして徐々に量産の体制が整いつつある。

泉屋に送ってみると、どちらも大評判だからもっと送れと返書がきた。

「 お前たち良くやったな、江戸の店に送ったところ大層な評判だそうだ」

「 うわーっ、やったー・・・」 中には泣き出す者もいる。

それはそうであろう。次男、三男など長男以外は養子に行くしかないし、

それが出来なければ一生内職などしながら若さをすりつぶすのだから。

「 それでな、シャボンやクッキの包装紙は金吾殿に頼んでおいたから、

入れ物についてもよく相談するのだ」 

まずは順調な滑り出しであった。



まとまった商品を泉屋に送り出してからひと月が経った。

武助にしたら幾らで売れたか多少心配もあった。

ある日道場に懐かしい顔が現れた。

あのグラス製造に関わった寺本と楠田である。

「 どうした、お主ら、はや首になったか・・・」 と冗談をとばした。

「 師範代、いや武助殿、遠かった・・・ここまで来るのに大変でした」

「 おおお主らすっかり大人の顔になったな。もはや冷や飯食いの

面影はないな」

「 またまた、御冗談を。わしらは碌三百石をいただいておりますぞ」

「 そう既にどちらも妻帯しております。えへん」

「 おーそうだったか、これは御無礼した。つい懐かしくてな。

まずは横場先生に挨拶してもらおう。上に上がれ」

道場主と奥方に挨拶すると抱かれていたシロがにゃあと鳴いた。

「 シロどの覚えておいてくださったか、寺本と楠田でありますぞ」

「 面白い御仁じゃな、猫にあいさつするとは」

「 御父上、この寺本と楠田はグラス製造で苦労した仲で現在、寒河藩で

物産係をしております」

「 はい、武助殿のお陰で御家人の冷や飯食いから寒河藩に拾われました」

「 いまや寒河藩にとっては金を稼ぎ出す貴重な存在です」

「 ほう、武助がなー。しかし大した御出世じゃな」

「 うーむ、大勢人がいて活気がありますな」 道場を見回して二人が云う。

「 門弟もいるが色々と作業があるでな」 

「 そうそう、それでございます。武助殿がまた新たな物を作られたそうで、

殿が一度帰ってきてくれと申されております」

「 帰ってくれと云われても、ここがわしの国じゃが」

「 そこをなんとか・・・・」

「 冗談じゃ。しかしこちらにも都合があるのじゃ。お主らしばらくは

ここでゆっくりしておれ」

「 はあ、はあ」

「 どうしたのじゃ、ゆっくりできない訳でもあるのか」

「 それが、泉屋から為替を預かってきておりまして」

「 なんじゃ、それを早く言わぬか。ふむふむ二百両とな・・・」

武助は門弟たちを集めた。

「 お前たちの中に寒川藩に勤める気のある者はいるかな」

「 寒河藩とはどこにあるので・・・・」

「 そう、東海道を経て東山道を北に進むと羽州がある。そこだ」

「 ・・・・・・」

「 かなり辺ぴなところでございますな」

「 津山とそう大差はないと思うがな。ただここより多少寒いかもな」

武助が勧めるが誰も乗ってこない。されば金で釣るか。

「ここにいる寺本と楠田はの、かっては江戸で御家人の部屋住みじゃった」

「 いまは三百石をいただいておる、うーん、どうじゃ」

「 三百石・・・・ 行きたい、行きます」 

石高をきいて森川と菊池の二人が名乗りをあげた。武士に未練のある

ものは新しい天地で家を興すのもいいだろう。



         

生産が軌道に乗った頃、道場を訪れた武士がいた。

偉そうな顔をしている。態度もこちらを見下した感じで言葉も横柄だ。

「 津山藩用人、望月である。お主、内海殿と申したな」

「 左様ですが」

「 我藩の重職がお主に献策せいと申しておられる。同道してもらいたい」

「 失礼ながら、わたしは貴藩と何の関わりありませんのでお断りいたす」 

「 な、何・・・断ると申すか。無礼な」 とはや刀に手をかけている。

「 おやめなさい。怪我をしますよ」 と止めるが、

血の気が多いいのか刀を抜いて切りかかってきた。武助は権威だけ高い

このような連中は大嫌いだから、相手の刀を奪うやポンポンと

軽く叩いてやった。

「 その様な無礼な態度では今後お相手はできません、お帰りあれ」

と呻いている者を道場から放り出した。あのような者が用人として

勤まるのか、津山藩を少し心配した。

後日である、朝からまた津山藩から別の者が訪れた。

今度は御大層な駕籠で供連れだ。いつたい津山藩がどんな用があって

こんな道場にやってくるのか。

「 先日は我藩の望月が大変失礼をいたした。このとおりお詫びいたす」

「 あーあの事でしたらどうも思ってませんよ」 と戻ろうとすると、

「 しばらく、しばらく、どうかお待ちあれ」 としきりに止める。

「 拙者は国家老、井口忠助にござる。本日は主君時貞様の言葉を

お伝えにまいったのじゃ。何とぞお聞きくだされ」 としきりに頭を下げる。

あまりいじめても悪いから上に上がるように言った。

「 本日はまことにいい日よりでござるな」

「 左様ですな」 武助は元々無口である。

そこにかな芽が茶と菓子を持って部屋に入ってきた。

「 内海の妻でかな芽と申します」 と茶をすすめる。

「 なんとお美しいご妻女でありますな・・・いやこれは失礼いたした」

そこに横場宗玄も顔を出した。

「 なんだ井口殿、今日はどうしたのだ、こんな貧乏道場に」

横場は井口と顔見知りらしい。

「 助かった・・・横場、内海殿に口をきいてくれんか」

「 いやー、武助はへそ曲がりでな、いったん機嫌を損ねるとなかなかな」

「 そこをなんとか・・・」 

「 ご家老とは若い頃からの付き合いがあってな」

「 左様でしたか。さ、ご家老くっろいでその茶菓子を味見してくだされ」

「 う、この茶はうまい。それでこの菓子は・・・。おっ・・食した事のない

味でござるな。ふむ、これは旨い」

「 茶は江戸の泉屋という商人から送ってきたものです。そしてそちらは

西洋菓子でござる」

「 ふーむ、大変なものですな」

「 茶はともかく菓子はうちの門弟たちが作ったものです」

「 ほほう、御門弟がなー・・・」

「 ご家老は煙草をお吸いになりますか」

「 わしは煙草のみでござる」

「 ではこれで一服されよ。西洋式の煙草にござる」 とワインとウイスケのフレーバーの入った煙草を差し出した。

「 な、なんとこれは味の良い煙草でござるな。そしてなんとも良い香りが・・」

「 これは金吾と申す若者と仁那寺の和尚が開発したものです」

「 えーっ、あの善海が・・・あれはただの酒好きと思うておったが」

「 好きこそ物の上手なれとか申します、よろしければお持ち帰りください」

「 ふー、驚いた。おーそうであった、肝心の事を忘れておった。内海殿、主君が

そなたの話を聞きたいと申しておられる。御足労をかけるが、どうか

同道していただきたい」 こんどは武助は断らなかった。

城に上がると藩主自らいそいそと現れた。

「 内海、いや内海殿御足労をかけた。いやー我領地にこの様な若者が

おったとは。しかも以前は産物方におったそうではないか」

「 うーん惜しい。そなたは再び仕える気はないのか」

「 お殿様、わたくしめは宮仕えができず致仕したものでございます」

「 うーん惜しいな。なんとかならんか」

「 失礼ながらお殿様、世の流れをみるに、最早この国をけん引しておるのは

商人でございます。何も生産しない武士はこの太平の世にあつては極めて

不利な立場にあります。これまでのように年貢だけでお家を維持しようと

しても領内に余程の産業が無い限り無理でございます。 領内の米作に

頼っていてはじり貧でございます」

「 そこだ、俊光殿もそう云っておった」

「 俊光さまとお話をされたのですか」

「 そうよ、内海殿は息災かとな。お主大変な事をやったようであるな。

借金も返し、今は名君と呼ばれておると笑っておられた」

「 それでな、我藩にも知恵を貸してほしいのじゃ。どうであろう」

「 わたしめが考えずとも優秀なご家来がおられましょう」

「 うーむ、それがなー」

「 確かに宮仕えは大変であります。責任が及ぶことはやりにくいもので

ございましょう」

「 知っての通り貧乏藩じゃ。中々新たな事には金が出せん」

「 それではもうしますが、御領地でも可能な事はございます」

「 但し、それには御家臣のやる気とお殿様の御英断が必要になります」

「 まず考えられるのは洋酒の製造、煙草栽培、イワナ養殖、香料の採れる

木の栽培、次に製紙の原料の楮、三椏、雁皮の栽培となりますか」

「 まず煙草につきましては高い値で売れるものを作ればよいでしよう」

「 聞くところにると、西洋の煙草にはフレーバーなる香りが加えられている

そうです。この国の煙草はただいがらったぽく不味いそうです」

「 フレーバーなるものはおもにワインと称する葡萄から作った酒で

ございます。先日、煙草のみにフレーバーを加えた煙草を吸わせますと

味が円やかと評判がようございました」

「 高い利が期待できますが、ただ耕作地は毎年栽培はできません。

連作ができないのです」

「 洋酒は葡萄の実からつくります。その為には耕作地が必要であります」

「 ご当地には広い野が遊んでいます。耕作地に向かないのは水利の問題が

あるからでございましょう」

「 これは御領地の断面を描いた図でございます」 と金吾に描かせた鳥観図

と谷川を描いた断面図を見せた」

「 我道場には蔓矢ともうす町見家がおります。宜しければその者に

水の曳ける場所を調べさせましょう」

「 長々と申し述べましたが、何事も一朝一夕とはまいりません。

その事はご承知おきください」

「 とはいえ、何か成果が見えるまでは動きにくい事も事実であります」

「 うーん、驚いたわ。そんな話は家臣からこれまで聞いたことが無かった」

「 お殿様が藩を潤せば領民の為にもなる事ですから当地に籍を置く

者として協力は惜しみません。少しずつ始めましょう」

ところでこれは先ほど申し上げた葡萄の実でございます。そしてこれはクッキと申す生洋菓子であります。

「 おーこれは初めて食すものじゃ、実に美味いものじゃな」

「 これは植物に詳しい者が育てた葡萄であります。当然御領地で栽培が

可能になれば浪速にも販売可能になるでしょう」

「 クッキはわが門弟により作り上げたものであります。いまは江戸方面

で委託販売しております」

「 何故我藩の家臣がこの様な事を考えつかんのか・・・」

「 恐れながら申し上げます。考えついたのはご家来方の次男、三男という

先に希望を見いだせない者たちだございます。必死さの違いであります」

「 うーん良く分かった。我らは領民の上に胡坐をかいておったのじゃな」

「 それででございますが、わたしは江戸にしばらくの間行っております」

「 なんと、留守にするのか・・・」

「 はあ寒川藩の俊光さまのお呼び出しで参ります」

「 その間は蔓矢と飾東に対応させますのでご懸念なく」



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第十二章 再び江戸に
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