目次


第一章   山修行
第二章   江戸に出る
第三章   長屋住まい
第四章   グラスを造る
第五章   国に帰る
第六章   寒河藩の危難
第七章   武助妻帯する
第八章   旅立ちの時
第九章   故郷のくらし
第十章   シャボンの製造
第十一章  本格的な製造
第十二章  再び江戸に
第十三章  老中の頼み
第十四章  開墾始まる

第十五章  終章






主な登場人物


内海武助       朴訥な若侍 主人公
横場宗玄       津和野の町道場の師範
泉屋幸兵衛      日本橋北槇町薬種問屋の主人
立花兵衛       新陰流の道場主
寒河俊光       寒河藩藩主
ジョン・ケニー     米国横浜商館長
おしん         老中稲葉貞家配下の密偵
善海          仁那寺の僧侶
かな芽         旗本宇津木和馬の娘




第一章  山修行


町の上にとどまっていた雲は、いつの間にかねじれた飴のようになって、

海側にはりついている。

しばらくぶりに内海武助は長屋に戻ってきた。

仕事が終わり懐は幾分暖かい。

「 明日は西野屋に顔を出して仕事をもらいに行かねばならんな」 と

呟いた。手に職があるわけでもなく、いつ何時金がいるようになるか判らぬ

身分である。誰も面倒をみてくれる様な心当たりなどないが、宮仕えの堅苦しさに比べ、

気楽さだけが取り柄のような暮らしは身に合っていた。

作州津山、森家の産物方として仕えていたが、両親を亡くし、独り身であった。

直情径行型の性格で、上役とそりが合わず、誰も止めなかったから、御暇願いを差し出したのだ。

藩としても口減らしが出来るのだから否というわけがなく、
願いは受理された。

自由の身となったが、周囲からは若い者の軽挙妄動と
陰口をたたかれた。

家の中の物を処分して、女中、下男に暇を出し、領内を出た時、懐には5両少しの金が残った。

出立するとき世話になった檀家の寺にだけ挨拶に出向いた。

和尚は武助をじっと見て、

「 おまえは子供の頃からきかん気で無茶をやったな。わしも宮仕えが続く

とは思えなかった。何事も人生の修行である。この様な田舎から飛び出し

外の空気に触れるのも仏の導きであろう」 と選別まで渡してくれた。

和尚の心遣いに感謝し、幼い頃に境内で遊んだ頃を思い出しながら歩いた。

江戸までの路銀は乏しいが、夏に向かう時期だから野山や辻堂に泊まった。

一度だけ参勤交代の供をして山陽道、東海道を往復したから道に迷う事はなかった。

ひたすら歩き続ける武助には一つの目標があった。

江戸に行き、己の剣の腕を試して、更に修行したいという願望である。

武助は幼い頃から屋敷で父から剣術、母からは一般的な教養を学んだ。

物静かな父だったが、稽古は厳しかった。半べそをかきながらくらいついて

いった。母はその様子を心配気に見つめていた。

父の竹刀の動きがいつしか見えるようになり、ある日ついに父を打ち込んだ。

「 おまえは剣の素質がありそうだ」 と父がいった。

明日から道場に行け、と云われたときは嬉しかった。城下には町道場が

三つあったが、父が連れて行ったのは竹内流と云う道場であった。剣術の他に

柔術、捕縛術も教授する道場である。武助は幼年組に入り基本を学んだ。

道場主の横場は武助の素質をみとめ、目をかけて指導してくれた。

武助の必死の精進のせいか5年のうちに師範代を補佐するまでに登りつめた。

ある日道場主に呼ばれ告げられた。

「 上達したな武助、しかしな、お前のやってる事は所詮棒振りだ。おまえが

武士のたしなみ程度で良いと云うなら無理に勧めはせんが・・・」

「先生、おっしゃって下さい。武助はどうすれば良いのでしょう」

「 お前の素質はとび抜けておる。その剣をその程度で終わらせたくない。だから云うのだが」

「 武助、本気で剣を上達させたいなら山に篭り修行することだ」

「 山で御座いますか」

「 左様、わしも若いおりは諸国を廻り、そして山に篭り修行した」 

横場は武助に山での修行のやり方を教えてくれた。

山の中では自給自足だ、味噌と塩の甕を持って行け。

わしは野草や川の魚、うさぎや猪も食ったぞ。

油はきらしてはならんぞ、油断大敵じゃ。獣の油は天井から吊るしておくのだ。

それにな山にこもり走りまわると動物並みに感が冴えてくる。

しかしお前は人間だ、獣になりきってはならん。身体は毎日面倒でも

洗え。だから衣服は着替えるのだ。汚いものをそのままにしておいてはならんぞ。

衣服も洗え。山では毎日食えるとは限らん。確実に飢える。それが本能を

磨くのだ。どうだできるか。横場はけしかけるように云った。

師匠の言葉だ、断わる事は出来ない。むしろやりたかった。

父母に事の次第を語り許しを願いでた。

父母に挨拶を終え藩領の奥深い中国山地に向かった。

山ではまず苫屋を建てた。そこに味噌、塩の甕と水瓶を置く。

教えられたとおり沢までの道を鉈で切り開いた。水汲みも修行のうちと云われている。

沢から石を運び上げ簡単な炉を組む。

4月とはいえ山中は寒い。焚き付ける材料には事欠かないが、背負子で大量に

集めて小屋の裏に積みあげた。山の夜は暗く深気が押し寄せる。

粗朶を折り、炉にくべる。光と影がゆらぎ若者の顔が浮かび上がる。

まだ幼い面影を残しているが、一文字に引いた口は意志の強さを現わしている。

明日からの修行を想い浮かべながら眠りについた。

明け方から木刀を振り回し山を駆けめぐる。のどが渇けば沢に駆け降りて

水を飲む。そしてまた山頂まで走る。

初めは死にそうになるほど息が切れていたが、若い力はそれを克服していった。

山のけものに度々遭遇するが気にもとめず駆け、飛び、回転する。

恐ろしい事に、半年が過ぎる頃には獣並みの素早さが身に付いてきた。

更に月日を重ねると、周囲の気配が目を閉じても察知できる迄になった。

木々の枝を打ち、不規則な動きで飛んでくる枯葉を打ち、身をかわす。

つまり、気配と洞察力で先をよめるまでに上達したのだ。

山から山へ、谷から谷へ駆け回る修行の後は沢で身体を洗う。

一日の修行の最後には座禅を組み瞑想する

師匠との約束の一年が過ぎ、武助は茫々に伸びた髪を切り揃え、身体をいつもより入念に洗い、

身じたくを整え、里に下りた。

戻った事を報告すると、師匠はじっと武助を見つめた。

そして自ら立ち会うようにいった。大きくそびえ立つようであった師匠の姿が

少し小さく見えた。対峙は続きどちらともなく身を引いた。

「 武助、よくやった。わしが編み出した秘剣をお前に伝えよう。それでもう

お前に教える事は何もない」 師匠の言葉に感動し涙をこらえた。

両親の元に戻り、永く不在をした事を詫びた。

痩せてはいたが、無駄な肉をそぎ、筋肉の付いた武助の身体に驚いたようだ。

顔つきも子供の面影は消え、立ち居振る舞いに隙の無い息子を見て父は

喜び、そして母は泣いた。

やがて父は隠居届を出し、武助は父の跡を継ぎ産物奉行配下となった。

いわば領地内の米や漆、木材等の産業を振興管理する役どころである。

3年後、武助が二十歳になったとき父母が相次いで流行り病で亡くなった。

武助は悲しんだが、やがて立ち直った。

城務めは単調であった。元々無口な性格の武助は山での修行でそれが磨かれ

むっつり武助とあだ名がついた。

他の者と違いお世辞も愛想も言わない武助が周りには小憎く思えたらしい。

当然上役とはそりが合わなかった。

藩での出世など眼中にないし、役勤めにも魅力がなかった。

あるとき、藩の武術大会が催され、横場道場から武助も選ばれた。

武助は余裕をもって10人抜きをして優勝してしまった。

そして、それを鼻にもかけず、相変わらず無口な武助を上役は気味わるがった。

師匠の横場は武助にもっと口を開けと注意した。

「 藩に仕えるかぎり、もそっと口も達者にならんといかんぞ」

横場はこの武助が可愛いので、変人扱いになるのを恐れた。

「 好きな女はおらんのか?」

「 はい」

「 はいではない、生憎、おりませぬくらい言え。言葉を省略してはならんぞ」

「 ははは、そのように口下手では寄ってくる女はおらんじゃろうな」

「 役の仕事以外何を云ってよいやら分かりません」

「 朋輩が何を話すか聞くことがあろう」

「 はあ」

「 はあではない。天気の事、季節の事、相手の家族の事、幾らでもあるぞ」

「 はあ」

「 お前は町で商人と話した事はないのか?」

「 商人の話し様はそなたには勉強になると思うがの」

「 そして少しは遊べ。よし今度わしが水茶屋に連れて行ってやろう」

「 有難うございます」

吉場は若い時に習い覚えた居合、抜刀術も指導してくれた。

蝋燭や箸を投げ上げ、一瞬のうちに六つに両断する。

「 宴会で何かやれと云われたら役に立つぞ」 と師匠は笑った。 

「 自分が二人いると考えよ。意にそまず軽々しく口をきくのはもう一人の自分にやらせよ。

もう一人は己の内部におればよい。どうじゃ」

「 わたしが二人でございますな」

「 まず家では独り言でいから大きな声で喋るのだ」

「 何をでございますか」

「 馬鹿者、今日の飯は美味かった、みそ汁は美味かった、不味かった・・・

そのようなことでもよい。一日10度は喋るようにせよ」

「 さらに他人に接する時は手土産などは有効だぞ」

師の好意が身に沁みた。お蔭で時候の挨拶ていどはぎこちなくだが出来るようになった。

ある日師匠の奥方に武助が菓子折りを持って挨拶すると、目を丸くし、これが以前の武助殿か

と驚き、ほ、ほ、ほと笑った。

しかし武助の努力も務めでは左程効果は上がらなかった。

上役は何かと小うるさく文句をつけてくる。

一度係りの者で川鵜町の茶屋で宴会を行ったおり、無骨な武助が何も出来ないと思いながら

何か芸を披露せよと云った。

武助は例の抜刀術を披露した。音もなく抜かれた刀がキラキラと反転し蝋燭が6つに両断され

上役の膳の上に落ちた。肝を冷やした上役はそれ以来口を
きかなくなっている。

そのことを師匠に相談すると、

「 俸禄を得るための宮仕えである。しかしながらお前がどうしても我慢が

出来ないなら致仕するのも手だ」

「 わしはお前に道場を継いでもらいたいと考えておる」

「 しかしこの田舎道場はお前には相応しくない。いずれそうなるとしても

ずっと先でよいのじゃ」

「 どうじゃ、今度は江戸に出て修行してみんか? あまり居心地がよくて

帰って来ぬと云われると困るが・・・ははは」 

「 先生の御恩情は決して忘れません」

「 つまり、今度は人間の修行もするのじゃ、田舎におっては何も見えてこん。

大勢の人間の中でもまれてみよ。うん、嫌か?」

「 とんでもございません。我が侭が許されるならばと思っておりました」

「 うむ、左様か。若いうちの苦労は買ってでもせよと申す。みすぎ世過ぎも自分で苦労して身に

付けよ」 師の心遣いに感謝し、藩を致仕した。

両親の墓前に手を合わせ、そして仁那寺の和尚、善海に江戸行きの挨拶をした。

「 自らを信じて生きるべし」 と和尚からはなむけの言葉を頂だいした。






第2章 江戸に出る
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