第三章 長屋住まい
「今日は何か御用は・・・」 と訊くと髪を結い直してくれませんかと番頭がいう。
町人のなりをしてほしいという。髪結い屋がもう来ていた。
着物はもう取り寄せてあるという。何か分からぬが店にとっては緊急事態の
ようである。
行き先は三好播磨の守とかで融資した金の取立てである。この度役替えで
昇進加増があったそうで、そろそろご返済をと催促したところ、屋敷に来る様にと返事がきた
のである。
ただその主が武辺者で家来も腕の立つ者を揃えており、何かといえば
家伝の槍を振り回す癖があるらしい。そこで武助が呼ばれたわけだ。
久造と共に屋敷に上がろうとすると用人が供はここで待てと云った。
「 この者は店の番頭を継ぐ者です。今後ともお付き合いをするからには、
経験を積ませたいのです」 だめであれば私も引き上げると久造が述べた。
「 仕方ない許す」 と用人が云った。
奥では数人が播磨の守を囲んで飲んでいた。
「 殿様ご昇進おめでとう御座います」 と祝いを述べ、つきましては先日のお願いを・・・と云うと、
何、祝いを持参したのではないのか。うーむ、借金の返済じゃと?よく言った。
金ならくれてやろう。家宝の石切丸で支払おう。
首を出せと槍をぐっと久造の首筋まで突き出した。
武助はすいっと身を久造と入れ替わった。
「 御殿様、そのあたりで冗談はお止めになって頂けませんか」
「 無礼者、その方町人ではないな、よしその首もらった」 と槍を突き出した。
槍のけら首を扇子で押さえるや手刀で打つと、中ほどで槍は折れとんだ。
さっとそれを掴み殿様の額をびしっと打ち込むと仰向けにずでんと転がった。
おのれ慮外者と刀を抜いて切り込んでくる家来どもを片っ端から半折れ槍で
叩き伏せる。掛かって来た者全員が呻き倒れていた。
用人が青い顔であたふた出てきた。
「 これよりこの者達を縛り上げ日本橋の高札に連れて行く。文句があるか」
と凄んでやった。
「 待て、待て分かった。金は支払う。だからそれだけは止めてくれ」
「 借りた金は素直に払えと主人に云っておけ、次は容赦せぬぞ、全員首を落としてさらしてやる」
と脅した。今日の武助は口がよくまわる。
「 あれで良かったでしょうか」
「 槍を本当に突き出すとは呆れたものです。私共も幕閣に伝手があります。次は思い知らせて
やります」 久造は怒っている。
「 しかし恐れ入りました。相手は一万石そこそことはいえ大名です。それを
ねえ。内海さまは仕官は考えておられないので?」
「 まったくその気はありませんよ」 しかつめらしい仕官暮らしなど、町やの暮らしに比べるべきも
ない。例えその日の食事に窮しても気楽さを武助は選ぶ。
「 内海さま、この度はまた久造の危ういところをお助け頂き有難うございました」 と喜兵衛が
礼を述べる。
「 いや、拙者は・・・」 どうも喜兵衛とむかい合うと口がまわらない。
「 あなた様をこの様な事にお使いして申し訳ありません」
「 いや、仕事でござる」
「 あなた様にわたくしの長屋にお住まいになって頂ければよいのですが・・・」
「 そのことか、喜兵衛殿気遣いさせてすまん。しかし使いをくれれば参上
しますぞ。上げ膳据え膳ではなく、実は一人で暮らしてみたかったのじゃ」
「 それでな、よければ私の行く道場に腕の確かな者がおる。是非紹介したい」 善兵衛は武助を
離したくないようだが了承した。
三宅を紹介したかったが、彼は近々道場を継ぐ身である。だから腕を上げた
須藤と木本を紹介した。
本郷町の長屋に出向くと、すでに泉屋によって家財道具は運びこまれていた。
大家の茂兵衛に会いよろしく願うと挨拶した。
「 泉屋様から聞いております。ご浪人様をされているとか。ここらはざっけ無い者が住んでおりま
すが、みな気はいい連中です、ご心配はいりませんよ」 と長屋の者を紹介した。
「 内海武助と申す。何分浪人になり立て故、ご迷惑をかけると存じますが
よろしくお願い申す」 武助は訥々と挨拶した。
「 大工の富蔵の女房のおみねですとか、桶屋の常次ですとか・・・」 挨拶を
受けたが全部は覚えられなかった。
既に汲み替えて置かれていた水瓶から柄杓で水を飲み、すこし落ち着いた。
自分で独り暮らしをすると云った以上、飯の支度などをすべきだろうが、
ぼけっと畳の上に転がっていた。
ガタッと音がして誰かが入って来た。
「 先生、隣のおみねです。おひたしを持ってきました」
「 隣のおすぎです、いわしの煮つけを持ってきました。まあ、なんですねえ
若い者がごろごろして」
突然、女二人の侵入に武助はおたおたしている。
「 どうされたのじゃ・・・」
「 まあ、いやだね。ここらじゃ独り者にお裾分けするのは当たり前ですよ」
「 左様か、よしわしが酒を買ってくる故、ご亭主も呼んでくれ」 武助にしては気の利いた事を
云った。
時ならぬ長屋の宴会が始まった。武助は菓子も買っておいたので子供らも喜んでいる。
狭い部屋一杯になってわあわあ賑やかに盛り上がっている。
「 旦那が話のわかる人で良かったよ」 常次が云う。
「 わしは長屋のしきたりは解からんからよろしく頼む」
「 そんな事はおっかあがちゃんと教えるさ」
「 洗いものがあればやるからね」
「 そうはまいらぬ。親しき仲にも礼儀ありじゃ」
「 だったら困ったら何でもいってよ!」
「 世話になる」
「 固い、固い、それじゃあ長続きできないよ」
「 左様か、なれば努めて努力いたす」
「 ははは、面白いお侍さまだ」 武助の朴訥な人柄は好意をもたれたようだ。
朝早く、残り飯に水をかけて押し込み隅田の土手を駆けた。道場の門弟達が
次々と合流してくる。風をきり砂塵を巻き上げて駆ける姿は最近では
この辺りの名物になったようで、朝から見物にくる物好きもいる。
何しろ大勢が血相を変え、歯を食いしばり武助に遅れまいと付いてくる。
武助は立花に願って道場の広い庭に土を盛ったり、石を積んで門弟が飛び回る場所を作って
もらったのだ。山を駆ければいいのだがここは江戸である。
武助の苦肉の策だ。立花に否応はない。評判があがり門弟も増えたのだから。
どう使おうと自由だが・・・と云ってから武助は5間の高さの小山を駆け上がり、積んだ石から
石へと木刀を振り回しながら飛び移る。地面に飛び下りるや、仮想の敵に一振り、更に飛び
上がり、次に地面を這いつくばるように
敵の攻撃を避ける。飛び、跳ね、伏せる。門弟達はあまりの素早さに驚く。
「 これで瞬間的な対応が出来る様になる」 と武助がいう。
実際の動きを目の前で見ているから皆納得している。
あれだけ走っているから上手にみな飛び回っている。
「 わしは用無しじゃな」 立花が少し拗ねてみせる。
「 とんでもない。これは間合いの勉強の下準備です。先生にはそれを教えてもらいます」
「 間合いとな、それならばわしに任せよ」 と組立ちの形を全員にとらせる。
「 間合いと見切りはなかなか難しい。相手の技量で変わるからじゃ」
と三宅を相手に説明している。やれやれ道場主もやるきになってくれた。
稽古の成果が出たのは泉屋に土地のごろんぼうが因縁をつけにやってきた
ときだ。つまらぬ事で金をせびる奴らの前に須藤と木本が乗り出し、刃物を
振り回す相手を叩きのめした。続いて出て来た浪人三人との勝負になったが
須藤と木本は落ち着いて木刀で腕をへし折った。店の者が役人を呼び戸板で
番屋に運んだ。土地の岡っ引きの話では、ゆすり、たかりを生業とするやくざ
一家らしい。役人は鼻薬を受け取っているようですぐに解き放ったそうだ。
面子を潰された奴らは何をするか分からないので用心するようにと岡っ引き
は云った。ともかく今や須藤と木本は信頼を得て先生扱いだ。
少しは仲間の役にたったかとうれしかった。
泉屋から使いが来て武助が呼ばれた。
薬草の仕入れで取引のある藩の重役から依頼を受けたそうだ。
商談の合間に武助の話が出て善兵衛が自慢したらしい。
「 藩のごたごたに巻き込まれるのは御免こうむる」 と云うと
その様な事ではないという。藩主の嫡男、国丸君の寝室に夜な夜な妖が出る
らしい。それで国丸君は夜も寝られずすっかり衰弱して医師に掛かる身と
いうことだ。護衛が部屋の外に付くのだが効果は無く困惑しているらしい。
取引先の藩であり、仕入れが途絶えると商いに支障が出ると困ると泣くように頼まれたので
請け負った。
藩の用人と水茶屋で会い対策を密談した。
国から来た家老付の家来として藩邸にあがり、家老の案内で若君と体面し、
心配ありませんと力づけた。若君はこっくりと頷いた。
頼母と図り極秘に若君と武助は寝所で入れ替わった。
布団に潜り寝たふりをしていると行灯の明りが明滅し部屋の隅に黒い霧のような物が現れた。
武助は幽霊や化け物など信じない。移動してきた影に
脇差で抜き打ちをみまった。更に逃げようとする天井裏の賊に脇差を投げた。
天井を突き破って落ちて来た賊は峰打ちで倒した。一人は死に、一人は生きて捕まえた。
霧のような物は木炭の粉だった。どうやら忍びらしい。
どこの誰が何の目的でこの様な事を企んだか別に知りたくもないので武助は
退散しようとしたが家老が離さない。訳を聞くまで返さないという。
要するに今の藩主が藩政を返りみない馬鹿殿で、それに乗じて側室のお奈緒
さまが我が子を次期藩主にと画策しているらしい。その後ろ盾が国家老で
藩を二つに分けてごたごたをやってるのだ。幸い側室と国家老との密約や文書を江戸家老派が
手に入れているので、捉えた者を証人に殿様に直訴するらしい。
「 なら、問題はないのでは」 と云うと
「 さにあらず、下屋敷には手飼いの武芸者がいて、騒ぎになると幕閣に睨まれる恐れあり」
という。
「 そこで今一度手を貸してほしい」 と懇願された。
「 具体的に何をすればよろしいので?」
「 武芸者の中に疋田典膳という棒術使いがおる。以前、藩の剣術指南役
と試合し一撃で倒しおった」
「 つまり拙者に棒術使いを倒せと・・・」
「 早い話がそうじゃ」 と勝手な事を云う。
「 拙者は貴藩に借りなどありませんが」 ちょっと意地悪してやる。
「 貴公を200石で我が藩に雇うが、それでどうだ?」
「 お断り致す」
「 うー、ならば300石で剣術指南役、これでどうじゃ?」
「 宮仕えは懲りておりもうす」 というとがっかりしたようだ。
年寄を苛めるのはこれくらいで止めよう。
「 しかし」
「 うー、しかし?」
「 国元の道場と寺に200両ずつ送ってくれればやりましょう」
「 おお分かった。承知した」 家老はにんまりした。
「 ただし、証文を書いて貰いますぞ」
「 うー、中々用心深いの・・・。これも承知した。直ぐに認めよう」
「 それでは、向うが動く前に今晩やりましょう。藩の人数は少しでいいです。
中に乗り込むのは拙者一人で結構です。藩の方は表と裏の出口をかためて
下さい」
側室が住む下屋敷の塀を飛び越え中に侵入した。警護の武士を倒し、口上を大声で述べた。
「 屋敷の方々、殿の沙汰により、ここは既に取り囲まれておりもうす。
神妙に縛につかれよ」 寝間着姿の武芸者が雨戸を開け、一人とみて
斬りつけて来た。止む無く手足をすっと斬って戦闘能力を失わせた。
最後に総髪の武芸者がゆっくりと現れた。
「 お主何者だ!」 割れがねのような声で叫んだ。
「 竹内流、内海武助、お主が疋田典膳か。どうする、勝負するか」
「 青臭いお前など木端微塵にしてくれよう」 と太い棒をびゅんびゅんと
回し始めた。風圧で武助の髪がなびいた。飛び込めば一撃をくらい、
受ければ刀などへし折れそうだった。回転は棒を握る長さを変える為
早いと共に不規則である。しかし、武助の感と目はその拍子を捉えていた。
だから、前にわざと出、少し下がった。つりこまれるように典膳の棒が袈裟に
打ちこまれた。避けた身体に反転した棒が胴を払う。これも跳躍して避ける。
次は握りを先端に移した棒で突きにきた。突然武助の刀がキラッキラッと光った。棒は3つに
分かれ典膳の腕もそのまま落ちた。苦悶する典膳を見向きもせず門を開け藩士を中に入れた。
明りの中に傷をおって呻いている人数を見て驚きを隠せないようだ。次々と捕縛し、部屋に乗り
込んでいく。
断わりを入れて長屋に帰った。
稽古を済ませ長屋に戻った武助に泉屋から丁稚が呼び出しにきた。
「 ご家老様がたいそうお喜びになってあなたに何やら渡してくれと持参され
ましてな」 と幸兵衛が袱紗包みを差し出した。
「 ああ、それは働き賃ですよ。済みませんがこれから国に文を書きますので
一緒にそこに送って貰えませんか」 と頼んだ。
「 ご家老様は詳しくはおっしゃいませんでしたが、大変なお働きだったようで」 と、どうも聞き
たいようだ。
「 ここだけの話ですが、お家騒動でした。これ以上は云えません」
「 あ、それからお香が内海さまにお話があるとかで・・・部屋に行っていただけますか」 と幸兵衛
が期待に満ちた顔でいう。
「 武助です。入ってよろしいですか?」
「 内海さま、折り入って話があります」 若い娘がこう言えば・・・うしし。
「 内海さまをご信頼してお訊きしますが、須藤さまはおひとりですよね」
「 左様、旗本の次男と聞いておりますが?」 あれ、風向きがちがうぞ。
「 須藤さまからわたくしの事で何かお聞きになっておられませんか」
「 ははん、分かりました内密に須藤の奴に聞いておきましょう」
「 有難うございます。よろしくお願いします」 あーあ俺は使われるばかりか。
稽古が終わって須藤にそっと聞いてみた。赤くなったからその気ありとみて
「 お主本気で町人になる覚悟はあるのか?」 と訊いた。
「 婿に入るなら町人がいいと思っていた」
「 お主は器用なところがあるからそれもいいかな」 武助は少し羨ましそう
に云った。
「 しかし、お嬢さんはいいが、善兵衛殿がどう云うか分からんぞ」
「 よしお前は店のことも学んで誠実なところをみせるんだ」
「 頃合いを見て善兵衛殿に話してみよう」
お香お嬢さんにもそのことを伝えた。店の中でもひょつとしてという空気が流れた頃、善兵衛に
これこれと打ち明けた。
「 よく言って下さった。一人娘ですから嫁には出したくありませんでな」
「 須藤さまなら人柄も申し分ありません」 あっ左様か、案じて損をした。
立花兵衛はこのところ暇である。
道場の名声は上がり、経営は順調である。もういつでも隠居する気になっている。
三宅と娘の婚儀が終われば道場を託す事になるだろう。
さる藩の剣術師範代であったが、上司の息子と師範の跡継ぎをめぐって争い
となり怪我をさせてしまった。それが元で藩を致仕する事になった。
母方の家が裕福であった為、暮らしに困る事はなかった。
立花は旅に出た。剣を磨く為だ。地方の道場に身を置いたり、時にはやくざの用心棒までやり、
見過ぎ世過ぎの知恵も学んだ。
ふらりと帰って来た立花に母が町道場でも開き堅実に生きよといってくれた。最初は小さな道場で
あったが、立花の指導が良かったのか門弟は年ごとに
増え、現在の道場がある。妻帯し娘もできた。今は始めの頃のように経営に
腐心する必要もないし、後継ぎもいる。要するに暇なのだ。
稽古が終われば釣りをする以外何もない。付き合いのある藩や旗本もあるが、
それは門弟の先行きを考えての付き合いだ。
しかし金に余裕が出来ると、ある藩の用人が声をかけてきた。
「 立花殿、常磐津をおやりにならぬか、あれはよいですぞ」
「 拙者は武骨ものゆえ常磐津なぞとてもとても」
「 今と逆に少し柔らかくなられるのも武芸にも役立つのでは・・・」
「 正直申すと暇でござる。前言を翻すようですが、これでも若いうちは破目を外して遊んだことも
ござるでな」 立花は述懐するように云った。
ならばと云う事で常磐津の師匠を紹介してもらい通うようになった。
お師匠さんの三味線の音にのせて歌うのである。
「 さすがお武家さま、姿勢がおよろしい」 変な誉めようでも立花はだらしない顔になっている。
出羽の国、寒河藩江戸上屋敷に働き料の礼に赴いた。
奥に通されると、藩主寒河俊光が待っていた。
「 この度は大分世話になった様じゃの。頼母から聞いておるぞ」
「 恐れ入ります」
「 わしはのただの飾りじゃ、藩政を顧みる事はなかった。その点は忸怩たる
想いがある。しかしこの度の事で少し反省した」
おや、この方は云われるような馬鹿殿ではないようだ。
「 わしの日常は単調じゃでお主がうらやましい。何事も波風がたたぬよう
に生きてきたが、わしは人事を一新する。能力のある者を引き上げるつもりじゃ。お主は任官を
望まぬようだが、それで良いから力を貸せ」
「 恐れながら殿さまには、町の暮らし、商人の商いなどご存じないと拝察いたします。
御殿様の立場ではご無理と分かっておりますが」
「 そう馬鹿にしたものでもないぞ」
殿様は結構、若い時分に遊んだようである。
「 これはご無礼を申しました」
「 商人は新しきものを取り入れようと工夫しております。武士の間ではしきたりに捉われその
工夫に斬新さが欠けるようで・・・」
「 今や世は商人が徳川幕府の屋台骨を握っております。旗本、御家人の生活は困窮し、
大半は内職に精を出しております」
「そこには武士の面子とか恭嗣などとかいう古臭い物は入り込む余地がありません。戦のない時代
に武士の必要は限られます」
「新しい気風に気付きそれに括目している者を登用なさいませ」
「手前味噌でありますが、わたくしめは江戸に剣の道に研鑚しょうと考えて
参りました。しかし太平の世ではいずれも教えている事は従来の教えをなぞるものでした。
わたくしめの剣を異端だと言う者がおります。それはいいのですが、しかしその異端の剣が大抵の
流派を凌駕いたします」
「その点では何事も工夫したものが勝といえます。
私は横浜まで走った事があります。そこでは異人の街があり、新規の気風が溢れておりました。
明りはランプとか申す物の中で火を灯すもので驚くほど明るいものでした。窓は障子ではなく
グラスという板状のもので、日の光が室内にそのまま入ってまいります。非常に高価なもので、
裕福な商人などが別邸や茶室に用いているようでございます。
しかし、いずれ町においても普及すると考えます。グラスに限らずその製造方法を学び殖産産業と
して取り入れる事ができればと愚行いたします」
「 そうか、工夫したものが勝か」
「 よし、頼母に命じて横浜の商人につてをつくろう。さらに語学に堪能な者を選び横浜に
派遣いたそう」
「 その場合はなにとぞ昇進などの人参をお示しください」
「 なるほど人参か、やる気を起こす為じゃな。面白い奴じゃ」
今日はよく喋った。武助のだんまりは江戸で揉まれ解消したようだ。
帰り道を急いでいると土手の斜面で鳴き声がする。近寄ると子猫がもぞもぞ動いていた。
捨て猫と気づいて通り過ぎようとしたが、思い直し拾い上げた。
寒いのかぶるぶる震えている。顔付きを見ると中々可愛い。
懐に入れて歩いたが大人しくしている。
長屋に帰ると騒動が持ち上がっていた。
猫に残り飯に汁をかけて食わしながらおみねに何事か訊いた。
左官の市助の息子がいなくなったんだよ。お寅が大声で泣くのが聞こえる。
「 それはいかんな。子供らはいつもどの辺りで遊ぶのだ」 と訊いた。
「 弘明寺の境内とか河原だね」 という。
「 よし、わしも探そう」 と懐に猫を入れたまま、走った。
寺の境内、河原を駆けながら探した。四歳の子ならここらが限界と思える場所を虱潰しに探す。
武助の鼻は下手な犬よりも山で鍛えて鋭い。
風邪に乗って子供の臭いがした。お堂の下で栄吉という子共が泣いていた。
「 栄吉腹が減ったろう。帰ろうか」 と云うと余計泣き出した。
猫を抱かせると泣き止んだ。先生の猫かい、可愛いねという。
やれやれ、ひと安心だ。
「 遠くに行っちゃ駄目だぞ、おっ母さんが心配するからな」 といって背におぶった。長屋に帰り、
お寅に栄吉を渡した。
「 先生いいとこあるね。若い娘がほっとかないだろう」 おみねがまた話のタネにしょうとする。
「 ほっとかない?いつの話だ」
「 噂じゃ泉屋のお香さんと好い仲だとか・・・」
「 あーあれはすでにトンビに油揚げをさらわれてしもうた」
「 油揚げって何よ」
「 わしなどもてぬという話よ」
「 でも最初はぼそぼそ云って頼りなかったけど、近頃は・・・」
「 ふむ、近頃は・・・?」
「 中々口も達者になって、顔つきも渋みが増したよ」
「 左様か、渋みがな・・・ひひひ」
「 ところでその猫を飼うの?」
「 土手で腹を空かせて泣いておったから飼うことにした」
「 おう、そうだわしが居ない時はこれで猫に飯を喰わせてやってくれないか」 と金を渡した。
「 いいよ、任しな、なんなら先生も面倒みるよ」
「 いや、わしの餌は自分で採る」
「 冗談だよ、先生をからかうと浮世のごたごたを忘れるね」
武助は米をとぎ、飯の支度をしながら一年半を回想している。
猫をなで呟く。いいのかなこれで・・・と思う。
そうだお前には名前が無かったな。お前は雄だからえーと、ころ、みけ、とら・・・うー、白いから
シロにするか、うん…? 猫が鳴いたからシロに決まった。
シロを長屋のカミさんに預けて道場に向かう日々がつづいた。
道場の評判を聞き、門弟も増え立花はほくほくだろう。
もちろん武助はそれ相応の指導料を受けているのだが。
いきなり道場にずかずか上がり込む者がいた。
人相が悪く派手な格好をした、俗にいう歌舞伎者だ。
「 道場主は誰だ、評判を聞き相手をしにやってきた!、旗本鬼道衆である」
「 無礼者、土足で神聖な道場に上がり込みおって。今回はゆるしてやる。
早々に退散せよ」 と木本がいう。
「 黙れ、黙れ、ちょこざいな道場剣法が・・・鬼道衆一番手柘植幸之進が相手をしてやる」
と長大な赤樫の木刀を振り立てた。
「 お主ら怪我をしてもいいのだな」 と木本が云うより早く打ちこんできた。
日頃の稽古で油断のない木本がすっと体をずらし強烈な籠手をみまった。
ガラリと落とした柘植の脳天を更に打ちこむと大きな身体がずしんと倒れた。
「 おのれー旗本を侮るか。構わん切り捨ててしまえ」 五人程の無頼漢が
一斉に刀を抜いた。外で見物する者が悲鳴をあげた。
「 いけねえ、あいつらは方々で道場に因縁をつけ金を巻き上げるやつらだぜ」
どうする…という目で立花が武助をみる。
「 木本、遠慮なく懲らしめよ」 と木刀を投げ渡した。
「 今の木本ならこの様な連中はなんでもありません」 と武助がいう。
ぐるりと囲まれた中で木本は落ち着いて対峙している。
我慢できず打ちこんできた奴の相手をせず、後ろ側の相手にあっと云う間に
身体を寄せ肩口に木刀を打ちこむ。更に身体を入替え左の相手の喉元に突き、驚く次の相手の
腕を一撃した。突っ込んできた相手には脳天を割り、最後の相手に振り向いた。相手は逃げ腰に
なっている。
「 どうする、旗本鬼道衆とやら。己の腕が分かったら退散せよ」
途端に元気になった立花がからからと笑う。残る一人は逃げ出した。
みな、こやつらを外に放ってまいれ、とげんきんな道場主だ。
外の見物人はタダで立ち回りが見れたと大喜びだ。
強いねーさすが立花道場だ。
いや道場主は大したことはないが、見所で座っている若いのがいるだろう。
俺が見るところあれが一番強いな。見物人もよく観ている。
門弟が木本の周りに集まり誉めている。
「 木本お前がその様に腕を上げているとは思わなかったぞ、大したものだ。後で奥にこい」
と立花がいった。
木本は御家人の三男で冷や飯喰いだから、いずれは婿にいく身である。
どうも立花の話はそのことらしかった。
後で訊くと新陰流の免許を受けたそうだ。更に
「 旗本の婿にならんか」 と嬉しい話を持ち出された。と、ことさら難しい顔を装って云ったが目が
笑っていた。
免許取りという肩書は婿養子には重要らしい。なら幾らでも出せばいいのだ。
シロを連れて馴染みの藪そばに行き蕎麦を手繰った。シロには出し柄のかつおぶしを混ぜた
汁飯を貰った。
亭主の伊助は鬼瓦のような顔をしているが気のいい男で、女房のたかよと娘のきくで店を
賄っている。
伊助は岡っ引きの仕事もしており、以前伊助の頼みで捕り物の助っ人をしたことがある。
以来この店を利用している。
江戸の暮らしにはこの様な顔繋ぎも必要とわかっているからだ。
「 猫のおじちゃん、シロといつもいるね」
「 そうだな、猫のおじちゃんだからな。きくちゃんは感心だな、よくお手伝いをして」 と誉めると
嬉しそうにニコリと笑った。
シロを懐にいれて長屋に帰った。寝転んでシロの相手をしてやる。
壁がどんどんと叩かれて大工の富蔵のだみ声が聞こえた。
「 内海さん泉屋から丁稚がきてお越し願いたいと云ってきたよ」
「 かたじけない。すぐに参る」
泉屋がしつらえた衣服に着替え、店に入ると国から手紙が届いていると渡してくれた。
故郷の師匠の便りには思いがけぬ大金に戸惑った。しかしこれはお前が帰ってから
の為に預かるとあった。師匠は剣一筋で道楽と云えば釣りくらいしかない人
である。次に金が入ったら釣竿でも送るかと考えた。
奥方共々元気でいると書いてあった。都合のよい時に一度帰って来いとも。
檀家の寺の和尚の方も無理はしてないかと心配する言葉と、送ってくれた金で
寺の修理をする事ができた。檀家も喜んでいると書いてあり、その他、お前の
お蔭で毎日うまい酒が飲めるとあった。師匠とお前の話をよくするが、江戸の暮らしはお前に
合っているようでよかった。しかし国でお前を待っている人の事を忘れるなともあった。
武助の目頭が熱くなった。
帰るのは良いが江戸で学んだものはあまりない。このままでは・・・とおもう。
泉屋にも武助が世話になるとの礼状があったそうである。
「 さすが、内海様のお師匠様です、できたお方ですな」 と泉屋が云う。
「 そうそう、忘れておりましたが、寒河藩のお殿様から都合のよい日に藩邸に来る様にとお使い
がありました」 といった。