第十六章 エピローグ
降る様な満天の星が輝く下にあの村がある。
日本の山間地にいつの間にか登場した限界村群は訪れた人達により静かなユートピアとして
喧伝された。
やがてそこは巡礼地の様な扱いをうけた。
しかし寺も神社仏閣も旅館、ホテルも温泉も無いただの山深い村である。
住人たちは、然程豊でもなく、貧しくもない程度の暮らしをして満足らしい。
一般的な現代人ならコンビニもスーパーもない環境は耐えられないであろう。
だから訪れた人達の中には呆れて帰る人の方が多いのだ。
しかし人生に疲れた者、進むべき方向性を模索する者にはこの地に魅せられるのだろう。
ふらっと訪れれば、住人は気さくに声を掛けてくれる。食堂はないが
「 蕎麦でも食っていかないかい」 とか
「 お茶でもどうかね、 漬物でもつまんでいくかね」 とか気をつかってくれる。
若者もそうだが年寄も溌剌としている。子供も明るく摺れていない。
どういうわけか病人がいないそうだ。不思議な事だと誰もが思う。
後に元首相が語ったところによると、途方もない存在の力が働いて現在の日本が
あるのだと云う。
我々が何の気なしに使っている水素、石油はその存在が無償で提供してくれた。
特亜諸国と米国との脅威が無くなったのもその力が働いていたのだよ。
ヨタ話として聞いてもらって結構だが、あの限界村もそうであるそうな。
あんた方に感謝しろとは云わないが、恵まれているんだよ日本国民は。
それが判らぬうちは、あるいは知らぬ振りをしているうちは、まだまだあの村の
良さがわからないだろう・・・・。
あの村ではすでに低温核融合や重力制御技術も持っているそうだ。
しかし現在の生活にはその技術は無用だから使わないんだと。
いずれ壊滅的な天変地異がこの星を訪れる時、その技術が役立つだろうと
聞かされているという。
さて、その存在が今どうしているのだという質問だが・・・
ある人達と今も一緒に暮らしているんだ。人間は飽きのこない存在だそうな。
そしてある時、その存在はこの星の介入を止めたそうだ。
人間から業が薄れれば、それは人間ではないし、ごちゃごちゃと下らないことに
取りつかれてうごめいている方がそれらしいと考えを変えたそうである。
恐ろしいことではないか。君たちは見離されたんだ。しっかりすべきだと首相は
言葉を終えた。
人類は若い。たかだか何千年の歴史しかない生き物だが、古い意識から解き放たれて
次のサイクルに移るとば口にかかっている。
今Aはあの元ホームレスたちと廃品回収をしたり、伊豆でジバ達と働いたりしている。
もちろんあの限界村にも顔をだす。特に子供達や犬たちと過ごすのが好きらしい。
そして私はいまだにあの大家の婆さんに呼び出される。
様々な相談や苦情処理にも馴れてきた。ひょっとしたら婆さんは私の惚け防止の
為にこき使っているのかと考える日々である。
完
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